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ここから本文エリア 現在位置:asahi.com>BOOK>書評>[評者]北田暁大> 記事 書評 カラオケ化する世界 [著]ジョウ・シュン、フランチェスカ・タロッコ[掲載]2008年03月02日 ■アメリカ化を超える世界化は可能か 北京を訪れた際、「カ(「カ」は上の下にト)拉OK」「KTV」の文字が街中に溢(あふ)れていることに軽い驚きを覚えたものだ。前者は「カラオケ」、後者は「カラオケTV」のこと。中国人の学生たちに聞くと、彼らも何かの折によく利用しているらしい。またソウルでのシンポジウムに参加したときには、打ち上げの場で延々とカラオケに興じることとなった。アジアの近隣国において、カラオケはすでに日常生活の中に溶け込んでいる。それが日本発かどうかを問うのも意味をなさないほどにグローバルな文化装置=メディアとなっているのである。 本書は、日本で生まれた(とされる)カラオケというメディア・テクノロジーが、アジアや南北のアメリカ大陸、ヨーロッパなどでどのように受け止められ、生活文化の中に息づいているかを、比較文化論的な視点から概観するものである。 とかくグローバリゼーションというとアメリカニゼーション(アメリカ化)のことを意味するものであるが、カラオケの場合は事情が多少異なっているようだ。 もちろんそこにグローバルな資本の関与がないわけではないが、「あらゆる場所でカラオケはそれ自身の文化を創(つく)り、同時にまた、より広い文化的時代精神を反映する」。カラオケはときに、英語中心主義の媒介者(英語教育の教材)となったりもするが、マイノリティー文化を活性化させたり、海外滞在者たちの愛郷心を下支えしたりもする。グローバルとローカルのせめぎあいのなかにカラオケは位置しているのだ。 音楽、しかも各人が能動的にコミットする音楽技術を媒介としたグローバリゼーションは、市場のグローバル化とは異なる、独特の「グローカル(グローバル+ローカル)」な複合文化を形成しつつある。その複雑な展開を著者は淡々とした筆致で描き出し、カラオケという「複雑な有機的システム」の実相に迫る。アメリカニゼーションを超えるグローバリゼーションは可能か……そうした射程の長い問いが、本書を通底しているように思える。 ◇ Karaoke:The Global Phenomenon、松田和也訳/Zhou Xun ロンドン大学の研究員。Francesca Tarocco 英国マンチェスター大学の講師。 ここから広告です 広告終わり 書評 バックナンバー
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