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書評

免疫学の巨人イェルネ [著]トーマス・セデルキスト

[掲載]2008年03月30日
[評者]渡辺政隆(サイエンスライター)

■尋常でない科学者の妖しい生き方

 これほど不思議な科学者の伝記を読んだのは初めてだ。主役であるニールス・イェルネという人物が尋常じゃない。おまけにこれは「実存的伝記」だなんて。

 ノーベル賞学者である免疫学の泰斗イェルネは、伝説的な人物としてつとに名高い。「ニールス・イェルネの聖性と俗性」と題した序文を寄せている同じ免疫学者、多田富雄氏の「近代免疫学の最後の傑出した理論家、預言者、伝道者」との形容が、そのことを雄弁に語っている。

 免疫学者イェルネの最大の業績は免疫系のネットワーク理論の提唱とされる。しかし、免疫学の理論は医学・生物学でも極めて難解な領域であり、理解することは最初から放棄するのが無難だ。それでも本書が魅惑的なのは、実験的確証もなしに網の目のような理論を創案したイェルネという人物の妖(あや)しい生き方にある。

 日本びいきの視点から言えば、イェルネの最大の功績は、創設に関与し初代所長を務めたバーゼル免疫学研究所で、まったく無名だった利根川進博士に自由に研究をさせ、ノーベル賞に輝いた研究を開花させたことだろう。

 ロンドンで生を受けオランダで育ったデンマーク人イェルネは、同郷人である実存哲学者キェルケゴールに心酔し、女性とワインに耽溺(たんでき)し、プルーストを読みふけって時間の迷宮をさ迷う人生を送った。科学者としての本格デビューは40歳を過ぎてから。行く先々で熱狂的な心酔者を得る一方で、家族への義務はほとんど果たさない。

 自分にまつわる思春期以後のほとんどすべての資料を保存し、検閲的な介入もしないイェルネは、伝記作家にとっては夢のような存在だった。しかし、イェルネへのインタビューを重ね、膨大な文書庫で格闘するうちに、伝記作家は精神のバランスを崩しかけたという。巨人の実存を描き出すことはかくも難しい。

 かつて科学は科学者の生き様を映し出す営為だった。十字架の前で物思う遺影をあしらった秀逸な表紙が、そんな最後のペルソナの光と陰を象徴している。

    ◇

 宮坂昌之監修、長野敬・太田英彦訳/ Thomas Soderqvist

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