[掲載]2008年4月6日
■恋愛の痛みと推理の歓びがピタリと
他者にその存在さえ知られない罪を/完全犯罪と呼ぶ/では/他者にその存在さえ知られない恋は/完全恋愛と呼ばれるべきか? ――こんな挑発文で始まる本書の著者は「牧薩次」。1970年代にジュブナイル・ミステリーを読みあさった者にとって、彼の名はいつまでも瑞々(みずみず)しい輝きに満ちている。『仮題・中学殺人事件』にはじまる名探偵コンビのひとり「ポテト」こと牧薩次はミステリー作家志望で、なんと自分の名前を入れ替えて「辻真先」なるペンネームまでつくってしまうほどの人物。そう、このシリーズは当時アニメ脚本家としても大活躍していた辻真先が、初めて本格的に放った才気煥発(かんぱつ)の傑作ミステリーだった。
本書の末尾に記されているように、これは辻真先が初めて牧薩次の名で著した長編である。辻は執筆しながら強い手応えを感じたに違いない。そこで持ち前の稚気で本書を長年の分身に贈ったのだろう。辻は本書と同時期にコンパクトな『ぼくたちのアニメ史』も刊行しており、そちらが辻にとってアニメ史の決算なら、本書はミステリー作家としてひとりの一生を振り返った壮大な犯罪叙事詩だ。
主人公の究(きわむ)は少年時代に画家の娘・朋音(ともね)と出会い、恋心を抱く。終戦後、朋音をかばって犯罪の隠蔽(いんぺい)をした究は、富豪のもとへ嫁いだ朋音とその娘を陰から慕い続ける。しかしやがて朋音は亡くなり、その娘も不可解な密室事件で命を落とす。画壇の巨匠へと上りつめた究は、愛する者を奪われた哀(かな)しみから復讐(ふくしゅう)の完全犯罪へと向かってゆく。
究は辻とほぼ同年齢であり、彼の生涯はそのまま辻の生きた昭和から平成の時代に重なってくる。前半は巧みな情景描写と大河小説的な展開で読者を惹(ひ)きつけるが、昭和40年代に入れば「夕刊サン」やスナック「蟻巣(ありす)」など辻ファンにはおなじみの固有名詞が登場し、究もマンガや映画を語るようになる。そして平成に入り、ついに牧薩次が現れる。
後半まで読み進んで、主人公は本当に完全恋愛を達成できるのか、と不安に駆られた。しかしラストシーンで鮮やかな完全恋愛が完遂された瞬間、快哉(かいさい)を叫んだ。恋愛の痛みとミステリーの歓(よろこ)びがぴたりと重なり合う。こんな感覚をいままで体験したことがあっただろうか? そしてこれほどの厚みを湛(たた)えた本格ミステリー・恋愛小説を、かつて中学生だったあの「ポテト」が書いたのだと思うと、年月の流れを実感して胸が熱くなってくる。
それにしても、辻真先は生涯をかけて完全恋愛ならぬ「完全娯楽」をもくろんでいるのではないか。11年前、「ぼくのミステリーにも、ぼつぼつ幕の下りる時間が近づいたような気がいたします」(『本格・結婚殺人事件』あとがき)と書いたことを払拭(ふっしょく)するこの力作を得て、ふたたび『あじあ号、吼(ほ)えろ!』などの近作を手に取ろうとする読者も増えることだろう。こうなると、辻は最後の最後までしかけてくるのでは、と思いたくなる。史上最高の「完全娯楽」を同時代の読者として目撃できることを心から歓びたい。そしていまなお辻真先は現役であり、歓びはまだ続くのだ。
◇
まき・さつじ/辻真先 つじ・まさき 32年生まれ。アニメ脚本家・作家。著書に『アリスの国の殺人』など。
著者:牧 薩次
出版社:マガジンハウス 価格:¥ 1,890
著者:辻 真先
出版社:東京創元社 価格:¥ 567
著者:辻 真先
出版社:岩波書店 価格:¥ 819
著者:辻 真先
出版社:朝日ソノラマ 価格:¥ 1,631
著者:辻 真先
出版社:徳間書店 価格:¥ 1,000
著者:辻 真先
出版社:双葉社 価格:¥ 610
ここから広告です
広告終わり