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書評

エクストラテリトリアル [著]西成彦

[掲載]2008年04月20日
[評者]鴻巣友季子(翻訳家)

■「文学における治外法権」の行使とは

 政治的弾圧と逆境の中で人々が芸術を創造しうるとすれば、それは、おのおのの言語と文化を用いて、自分たちなりの自由を行使しえた時だ。これを、本書は文学における治外法権=エクストラテリトリアルな力と呼ぶ。

 ここに挙げられたエクストラテリトリアルな作家の多くは、自虐的なユーモアやセルフパロディーをしたたかに発揮する。たとえば、ポーランドからアルゼンチンに亡命した作家ゴンブローヴィッチは、支配層が拵(こしら)えたマイノリティーのステレオタイプ像に対し、「擬装的な服従の姿勢をとって」逆に紋切り型を暴きだす手法をとる。

 では、同じポーランド出身のコンラッドが創作に英語を選択したのはなぜか。『闇の奥』でも、ボルネオのオランダ人が無国籍化していく過程を描く『オルメイヤーの狂気』でも、グローバル化したはずの英語は、現地語を前に「局地的な死」に瀕(ひん)する。なるほど、こうして英語を優位に置くかに見えて、コンラッドは支配言語の世界での位置を測っているのだ。西氏の読みはいつもながら鮮烈だ。

 イツホク・バシェヴィス(アイザック・シンガー)のようにイディッシュ語での創作を貫く作家もいれば、『ソフィーの選択』のスタイロンのように、英語では書きえないホロコーストの記憶をあえて英語で書く(その「書けなさ」を深く表現する)作家もいる。これらは、ドイツ人が英語を話す映画「シンドラーのリスト」の安直さの対極にあると、著者は指摘する。その一方、アルジェリアが舞台なのにアラビア語が一切出てこない『異邦人』の頑(かたく)なな単一言語使用には、確固たる意図を読むのだ。

 著者はさらに、カフカの『変身』で虫の内面を語る語り手にも、「弱者を自己流に解釈するマジョリティ」の目線を感じる。この卓抜な解説にふれたとき、『変身』は孤独な生き物の声を再現する小説から、多数者の「早とちり」を暴く皮肉な滑稽(こっけい)劇へと引っくり返るだろう。その見えざる転覆を見てとるには、読者側にも治外法権的眼力が必要である。

    ◇

 にし・まさひこ 55年生まれ。立命館大教授(比較文学・ポーランド文学)。

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