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ここから本文エリア 現在位置:asahi.com>BOOK>書評>[評者]南塚信吾> 記事 書評 ボスニア内戦―グローバリゼーションとカオスの民族化 [著]佐原徹哉[掲載]2008年04月27日 ■「共存」から「殺戮」へと向かった現実 異なる言語と宗教を持ちながらも平和に共存してきていた町の住民が、いつの間にか異なる「民族」だとして、お互いに武器を持って戦い、さらにはジェノサイドによって「民族浄化」をすることになる。これが1992〜95年に旧ユーゴスラビアのボスニアで繰り広げられた「内戦」なのだ。そこには目を覆いたくなるような殺戮(さつりく)の現実があった。しかし、一体なぜこういうことが起きたのか。この強い疑問から本書は生まれた。 1918年の建国から、第2次世界大戦の経験、そして独自の社会主義体制の成立というユーゴスラビアの歴史を押さえた後、本書は、ボスニアに住むセルビア人、クロアチア人、ムスリムのボスニア人が、言語・教育・民族観など「同一文化」をもつがゆえに、共存から武力対立へと等しく追い込まれ、残虐行為に走った過程を、豊富な史料によって解明する。そして、従来のメディアによるプロパガンダ的な諸説を次々と批判する。だが、本書の中心的主張はそこにはない。 一般に「内戦」は、社会主義が倒れたあと、民族主義が人々を対立させた結果だと言われているが、これは違う。社会主義の体制がグローバリゼーションのもとで崩壊し、町や村のローカルな世界で無法状態が現れたとき、戦争時の記憶や経済的格差などローカル世界固有の理由から住民間の対立が顕在化し暴力化した。各地で市民が行った平和を求める運動も暴力で圧殺され、市民自身でローカル世界を再建することができなかった。逆に、他者への恐怖が市民を捕まえ、市民はジェノサイドに参加していった。そして、殺し合いへの参加によって「民族」の一員である自分を発見したのだ。民族主義はいくつかの要因の一つでしかなかったと言う。 確かにグローバリゼーションによるローカル世界のカオスがジェノサイドにつながるという意味で、ボスニアの問題は今日に至る世界的な意味を持っている。ボスニア社会の丁寧な説明や、用語上の考慮が欲しかったりするが、読者を主題に引きずりこむ迫力のある力作である。 ◇ さはら・てつや 63年生まれ。明治大学准教授。著書に『近代バルカン都市社会史』。
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