[掲載]2008年6月1日
■混迷は極まり、戦火の暮らしは続く
イラクをめぐるニュースは、戦闘やテロなど悲しいものが多い。治安も経済状態も悪く、人口2500万人の1割が国外難民、ほぼ同数が国内難民化している。豊かな農業と産油国のおもかげは、とっくにない。しかし、それでも日常の暮らしは続く。
人々の生活の中で一番大事なものは、日々の食べ物であろう。日本におけるイラク研究の第一人者による新著は、最近の4年間の政治状況を鋭く分析することを縦軸として、横軸では食にまつわるイラクの文化と社会を生き生きと描き出している。前作『イラク 戦争と占領』の続編となるが、料理やお菓子の写真とレシピも掲載され、ユニークな作りの中に貴重な情報が満載されている。
冒頭から、川魚を焼いたマスグーフ料理が登場する。素材はチグリス川でとれる巨大なコイの一種で、それを背開きにして、薪でおこした火で焼く。異国で、戦乱がおさまるのを待っているイラク難民は、望郷の念とともにこの料理を思い出す。
評者が好きなダーウド・パシャというアラブの肉団子も登場する。名称はバグダッド統治者に由来するが、イラクではなぜか別の名で呼ばれ、料理の仕方も少し違うことを初めて知った。近隣のアラブ諸国との食文化の微細な違いも描かれ、非常に興味深い。
イラク情勢は、混迷の極致に見える。最近は宗派対立が前面に出ているが、実態は民兵を擁する党派の権力闘争、と著者は喝破する。過去には、宗派を基盤とする政治組織は全くなかった。不安定な政治の中で力と数の争いが激化し、諸党派が急激に宗派による動員へ傾斜している。
イラク戦争は、超大国の軍事力を利用するという前例のない形で、イスラーム革命をもたらした、と著者はいう。米国にとって不満であろうとも、この現実はもはや変えられない。そして、どの党派もすでに、いつかは来る米軍の撤退後に備え始めている。
平和の訪れまで、どれほどかかるのであろうか。著者も、楽観はしていない。変転する政治情勢を注視しなければならない。
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さかい・けいこ 59年生まれ。東京外国語大教授。『イラクとアメリカ』ほか。
著者:酒井 啓子
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