[掲載]2008年7月6日
■在るべきものが在る分散型社会を
まちの広場に1本の大きな木がある。その木陰に年寄りがいて子どもたちに話しかけている。在るべきものが在るべきところに在る風景――。
入社試験で「幸福とは」と問われ、そう答えたように思う。この本を読んでいて三十余年前の記憶が蘇(よみがえ)った。
バブルとその破綻(はたん)、市場主義の席巻を経て、忘れられていた幸福像が戻ってきた。
著者は「量より質」を重んじる経済の必要を説く。それは「集中より分散」によって築かれる、とみる。
集中型の経済は、北海道洞爺湖サミットの焦点である地球温暖化をもたらした。経済成長を追い求め、化石燃料を工業地帯に集めて燃やす。その「度が過ぎた」のである。
失いつつあるのは環境だけではない。「こんなにも多くの物を手に入れるという行動そのものが、地域社会から離れた個人中心の人間に私たちを変えてしまい(中略)孤独にしてしまっているのではないだろうか」と問う。
一方、分散型には太陽光や風力が似合う。「少数の人々が地面から掘り起こすのではなく、非常に多くの人々が地球の表面でそれを捕らえることができる」からだ。
分散したものを分散したまま使う。その発想の強みは多角的に語られている。
食ではファーマーズマーケット。地元農家が消費者にじかに売る場だ。スーパーより、買い物での会話が「一〇倍に増える」ので、食の安心にもつながるに違いない。
メディアでは地元の小さなラジオ局。地球規模のネットはできたのに「自分の周辺に関する事柄を耳にすることは段違いに難しくなった」。だからこそほしい情報源だ。
まちやむらに在るべきものが在る。それが分散型の社会だ。そこに諸々(もろもろ)の難題を解きほぐすカギがあるらしい。
著者は、アタマの柔らかな環境派のようだ。集中型の原発も脱温暖化へのつなぎ役を果たすかもしれないとみて全否定はしない。だが、「未来のもっと画期的な可能性は別のところにある」と強調することを忘れない。
どっちを向いて進むのか。それが大切なのだろう。
◇
大槻敦子訳/Bill McKibben 環境ジャーナリスト。著書に『自然の終焉(しゅうえん)』など。
著者:ビル・マッキベン
出版社:英治出版 価格:¥ 1,995
著者:ビル マッキベン
出版社:河出書房新社 価格:¥ 1,631
ここから広告です
広告終わり