現在位置:
  1. asahi.com
  2. エンタメ
  3. BOOK
  4. 書評
  5. [評者]江上剛
  6. 記事

出てゆく [著]タハール・ベン・ジェルーン

[掲載]2009年4月26日

  • [評者]江上剛(作家)

■希望と絶望の切ないモノローグ

 なぜ苦しむのだろうか。希望があるから? それならいっそのこと人は希望を捨て、絶望と寄り添えばどれだけ楽になることか。物語の登場人物たちは誰もが祖国から「出てゆく」という希望を持っている。そのために苦しみ、そして倒れる。

 舞台は北アフリカのモロッコ。優秀で美しい若者アゼルは、強迫観念のように祖国を「出てゆく」ことばかり妄想している。閉塞(へいそく)感を打破し、自分を変えたいのだ。たった幅14キロのジブラルタル海峡を隔てて目と鼻の先はスペイン。そこは欧州へつながる希望の国。豊かな未来が待っているはずだ。

 ついにアゼルは「出てゆく」ことに成功する。ゲイの美術商ミゲルが彼を愛人にしてスペインに連れて行ってくれることになった。「ぼくは出てゆく、心を開いて、地平を、未来を見つめて」と心を弾ませる。しかしそれは絶望への旅立ち。女好きのアゼルは同性愛者として振る舞うことに疲れ、ミゲルに捨てられてしまう。性的不能に陥り、もはや誰も愛せない。絶望した彼が「初めて自分が役に立っている」と実感できた仕事はイスラム原理主義者を摘発する警察のスパイ。結局、彼に待っていたのは無残な死だ。

 アゼルと関係する多くの登場人物たち。誰もが、祖国から出てゆきたいと願っている。友人ヌレディンヌはあと数メートルでスペインに着く、その寸前で溺死(できし)する。小エビの殻むき工場に勤める少女マリカは「出てゆく」姿を夢見ながら病死する。姉のケンザは、ミゲルとの偽装結婚という手段で出てゆくが本当の恋に破れ、絶望する。

 彼らの身を切るほどせつない希望と絶望のモノローグが縦糸、モロッコの倦怠(けんたい)した空気が横糸になり複雑な人生タペストリーを織り上げる。地図を開きながら読んでいると、乾燥した赤茶けた大地に忽然(こつぜん)と迷宮が現れ、私を誘い込んでいく。

 突然、これは日本ではないのかという思いが募る。派遣切り、ネットカフェ難民、約11万人の不法滞在者。彼らの誰もが閉塞感に満ちたこの国で希望に潰(つぶ)され、苦しむアゼルなのか。

    ◇

 香川由利子訳/Tahar Ben Jelloun 44年、モロッコ生まれ。仏国で活動する作家。

表紙画像

出てゆく

著者:タハール・ベン ジェルーン

出版社:早川書房   価格:¥ 2,205

検索フォーム
キーワード: