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単純な脳、複雑な「私」 [著]池谷裕二

[掲載]2009年6月7日

  • [評者]瀬名秀明(作家)

■高校生にわくわくする仮説を提示

 著者の池谷さんは私より2歳下、同じ静岡県の出身だ。本書の書評のため初期の著作から刊行順に彼の足跡を一気に読んで辿(たど)り、そうだよ、研究者はいつだってこうやってひとりの人間として歩んでゆくんじゃないか、と心の中で頷(うなず)いた。この最新刊は「今まででいちばん好きな作品」という著者の想(おも)いがはっきり伝わってくる良作だ。

 本書は母校の高校で著者が全校生徒に、続いてごく少数の高校生に向けておこなった講演や講義をまとめたものだ。著者は02年に『海馬』で糸井重里氏と対談し、その直後に米国で新たな研究生活に入る。ニューヨークの日本人高校生を相手に講義した記録が04年の『進化しすぎた脳』だ。著者は脳のシナプスの活動を詳細に観測する技術を開発し、「歌う大脳皮質」と題に入ったその論文は大いに注目されたが、そこで計測された結果については学術的な議論も起こっていた(その顛末<てんまつ>は08年の『ゆらぐ脳』で語られている)。

 高校生に語った本書は『進化しすぎた脳』の続編といえるが、読み比べれば聴衆を惹(ひ)きつける語り口やプレゼンの技法、研究生活に裏打ちされた眼差(まなざ)しなど、以前より格段に洗練されていることがわかる。講演の導入部分でさえ、誰でも語れる手順ではなく、著者自身のオリジナリティーが光るのである。

 後半の展開は実際のところかなりハードで、噛(か)み砕くには読者側の集中力も必要だが、著者は怯(ひる)まない。ポピュラーサイエンスと先端科学のぎりぎりの接線を突き進む。30代後半を迎え、研究業界でのさまざまな体験を経てここに立つ著者は、「脳は単なるノイズから私たちの自由意志を創発しているのだ」とわくわくする新たな仮説を提示してゆく。つまり本書はこれまでの学術的議論や風評に対し著者が放った渾身(こんしん)の一冊なのだ。彼は高校生に向けて熱く語ることによって自らを鼓舞しているようにも読める。それが私たち読者をも鼓舞するのだ。

 この著者でなければ決してつくれなかった本だろう。本書で池谷裕二はついに、ひとりの科学者になったのだと思う。

    ◇

 いけがや・ゆうじ 70年生まれ。脳研究者。東京大学大学院薬学系研究科准教授。

表紙画像

単純な脳、複雑な「私」

著者:池谷裕二

出版社:朝日出版社   価格:¥ 1,785

表紙画像

海馬―脳は疲れない (新潮文庫)

著者:池谷 裕二・糸井 重里

出版社:新潮社   価格:¥ 620

表紙画像

ゆらぐ脳

著者:池谷 裕二・木村 俊介

出版社:文藝春秋   価格:¥ 1,300

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