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46年目の光―視力を取り戻した男の奇跡の人生 [著]ロバート・カーソン

[掲載]2009年11月1日

  • [評者]横尾忠則(美術家)

■手術後に見た世界は驚異の連続

 3歳で失明した男が46歳を過ぎて視力を回復したらどうなるか? 視力を得て初めて見る世界は驚異の連続だ。この男マイク・メイは盲目時代に何ひとつ不自由なく、幸せな人生を生きていたので、特に視力を得ることに強い関心はなかった。

 ある時、医師から視力を回復する手術の提案を受ける。成功は五分五分だ。かつて幹細胞移植手術を受けた患者で、目が見えなかった頃の幸せに対して見えたものは、天国ではなく不安の地獄だったという例も多い。

 たとえ手術が成功しても、拒絶反応が起こって再び見えなくなる可能性もある。拒絶反応を抑える薬は副作用が大きく、がんを発症しかねない。そんな大きなリスクを背負いながらも、メイは持ち前の冒険心から手術を決断する。結果は成功。

 ここからが面白い。メイの体験は、われわれの想像をはるかに超える現実が待っていた。視力を得た瞬間は光と色の洪水が四方八方から押し寄せた。だが世界は意味不明の色のモザイクにしか見えず、それが何かは全く認識できない。そのうち触って形が認識できると初めて「見えた」ことになる。目の力だけでは現実は把握できない。盲目時代の触覚の力が必要なのだ。メイには見る物が多過ぎて、その感動に疲れてしまう。

 だが目が見えた翌日の夜、電灯の下で妻を裸にし、得たばかりの視覚で肉体の隅々まで観賞するシーンには、まるで新世界を発見したような驚きとエロティックな味わいを覚える。また男と女の区別をわれわれは子供の頃から習慣で知っているが、彼にはそれができない。妻と街に出て男女の識別実験をするくだりは思わず噴き出す。

 彼のこれらの行為は、芸術における無から有を創造する時の崇高でサンクチュアルな領域に踏み入った瞬間を見る思いがして、実に感動的だ。われわれはもはやメイのような無垢(むく)な視線を失っており、見えてしまっていることの不幸をつくづく嘆くしかないのだろうか。

 芸術における見えるものと見えないものについて、あらためて考えさせられた。

    ◇

 池村千秋訳/Robert Kurson 米「エスクァイア」誌の記者で編集者。

表紙画像

46年目の光―視力を取り戻した男の奇跡の人生

著者:ロバート・カーソン

出版社:エヌティティ出版   価格:¥ 1,995

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