[掲載]2009年11月22日
■生者と死者の共存から見る光景
戦争体験と戦場体験とはまったく意味が異なる。戦争体験とは戦争の時代に生きたということであり、戦場体験とは国の示す戦争目的に沿って兵士が命の奪い合いをするということだ。太平洋戦争下で非戦闘員として事実上、兵士の盾とされたのは沖縄県民だけである。
沖縄戦にあっては生者と死者の分かれ目は紙一重であった。それゆえ戦後社会は生者が死者であり、死者が生者であるとの共存が成りたつ。
著者は死者の側に身を寄せつつこの共存を自らの研究姿勢の土台に据えている。すると見えてくる光景が幾つもある。本書は沖縄戦から戦後の米軍占領下、そして戦後史、あるいは遺骨の収集、記念碑なるものの建立、本土の戦死者遺族の追悼と慰霊の屈折、沖縄の生者の心理にひそむ複雑な感情まで、実に多様な面からの分析を試みていく。著者はまだ三十代半ばの研究者だが、従来の類書にはない視点や論点を示し、その立論も沖縄にとけこんで密度が濃い。
たとえば本書には「集められた遺骨は、集落ごとに設置された納骨所へと収められた。生活そのものが死者と向き合う営為であり」といった記述があり、遺体や遺骨が支配する世界では「生者こそがよそ者であったのかもしれない」といった逆説が強調される。ある種の慰霊塔は「その場で記念=追悼されるのは、軍人か軍への協力者(軍属等)に限られる」という。まさに生者による死者の政治的利用である。とくに本書では「沖縄病」に対する考察が鋭い。戦後社会にあって、ひたすらかわいそうというだけの感傷や悲劇の島といった負のイメージを重ねる「まなざし」などを指すのだが、この沖縄病に罹患(りかん)するのはどういうときか、どういう症状があらわれるのか、その具体的記述に関心がもたれる。
本書の末尾で、著者は「日本社会は、戦死者を悼んできたとはいうが、その死を痛んできただろうか」と問う。著者が辿(たど)りついたこの結論に戦争体験をもつ世代が真摯(しんし)に答えてきただろうかと改めて私自身もつぶやきつつ考えこんだのである。
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きたむら・つよし 早稲田大学准教授(文化人類学)、琉球・沖縄研究所研究員。
著者:北村 毅
出版社:御茶の水書房 価格:¥ 4,200
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