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まずいスープ [著]戌井昭人

[掲載]2009年11月22日

  • [評者]苅部直(東京大学教授・日本政治思想史)

■人生の鉄路から外れてもなお家族

 表紙を白黒写真でしかお見せできないのが残念。アーティスト、束芋による不思議な蛸(たこ)の絵に、黄色がかぶさって、まさしく「まずいスープ」の風味をただよわせている。

 日常、普通、堅気、勤労、常識。表題作で活躍するのは、そんな人生の鉄路から、がくんとはずれた家族である。

 語り手の「おれ」は大学を中退して、放浪とアルバイトのくり返し。母親は焼酎に溺(おぼ)れ、父親は謎の仕事をしているうちに、突然、姿を消してしまう。盗んだものを売って儲(もう)けたり、自宅で大麻を栽培したり、そんなことも淡々とこなしてしまう一家。

 しかし、おたがいのやりとりにすさんだ空気はない。料理は誰かがまめに作るし、他の人が困っていれば面倒を見る。語り手が言うように、この家族の関係は意外にバランスがいいのである。小説は、暗い貧乏物語にも、べたついた人情噺(にんじょうばなし)にも向かわず、乾いた雰囲気のままとどまっている。

 そんな風情は、収録された他の二作、「どんぶり」「鮒(ふな)のためいき」にも見られる。前者はハエをじっと見つめる失職中の男の話で、後者では主人公の主婦が熱に浮かされ、ふらふらと酒場へ入りこむ。表通りからは見えないところで、ほのかに甘い空気が滞留しているような、奇妙に安定した世界。

 表題作は、この世界に小さな危機が訪れ、それを克服するまでの物語として読めるだろう。まずいスープを作って失踪(しっそう)した父親も、最後は無事に、再び登場することとなる。

 だが、その父に息子が会いに行く道中、「死んでるおれを抱えてるおれは、誰なんだろうなぁ〜」という、落語「粗忽(そこつ)長屋」の一節が車のラジオから流れてくる。その言葉は、あっけらかんとした表情の奥で、登場人物たちが感じている、不安なぎこちなさを浮かびあがらせる。

 この場所から、彼らが抜けだしたいと思うかどうかはわからない。だが意識のどこかで、これが本当の世界ではないと感じていることは、おぼろげながら、たしかなようである。

    ◇

 いぬい・あきと 71年生まれ。パフォーマンス集団「鉄割アルバトロスケット」台本など担当。

表紙画像

まずいスープ

著者:戌井 昭人

出版社:新潮社   価格:¥ 1,575

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