[掲載]2009年11月22日
■平凡を願いつつ孤立する哀しさ
いわゆるピカレスク小説は日本語でも数多く書かれてきたが、スリを生業とする男を主人公に据えた本小説は、大藪春彦、団鬼六、馳星周といった、この分野の先達がひらいてきた場所に、新たに魅力ある建物をたてた一篇(ぺん)といってよいだろう。
プロのスリの業や、スリをなす者の心理などの細部が、本書の読みどころの一つであるのは間違いないが、しかしなにより印象に残るのは、主人公の平凡さと、平凡であるにもかかわらず孤立してしまう人間の苦しさ、哀(かな)しさである。スリを生業とする人間のどこが平凡なんだといわれるかもしれないが、たとえば大藪春彦の小説の主人公たちが、過剰な欲望と野心を抱いた怪物であったのに較(くら)べれば、この主人公は、いつのまにか世間のルールから外れてしまった人間であり、極端ないい方をするなら、いつのまにか芸人になったり、会社員になったりする人と変わらない位相にいる。だから彼は失った恋人の面影を追い続けるし、かつての自分と同じような境遇にあって万引きを繰り返す少年に同情もする。
技術の高いスリとなった彼は、カネには困らず、世間の規則にも縛られない。嫌な上司と付き合わなくてもいいし、無茶(むちゃ)をいう顧客に頭を下げなくてもいい。けれども彼は決して自由ではない。堅気の社会の外に出たがゆえに、今度は犯罪者の闇の力が彼を襲う。彼自身には見通すことのできない、「上位」にある組織の手に絡めとられ、彼の知らぬ犯罪の手駒として使い捨てられてしまうのだ。
平凡に生きたいと願いながら、社会のなかで孤立し、見通すことのできない「上位」の力に翻弄(ほんろう)される状況は、社会そのものが解体しつつある現在、世界に広く蔓延(まんえん)している。孤立するつもりがないのに、いつのまにか孤立してしまう人々の姿を重ねあわせるとき、本書は独特のリアリティーを発揮して読者を強くひきつける。しかし、である。ないものねだりを承知でいえば、スリの超絶技を武器に、「上位」の力に斬(き)り込む主人公の姿は見られないのか? それは無理なのか? 続編を待望する。
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なかむら・ふみのり 77年生まれ。『土の中の子供』で芥川賞。『遮光』など。
著者:中村 文則
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著者:中村 文則
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