[掲載]2009年11月22日
■悪魔の想像力か、醜は美を生む力
どのページでもいい、めくってごらん。きっとあなたは「オエーッ」と言いたくなる図像が目に刺さってきて、次の瞬間「やべぇ」と思い、音を立てて本を閉じるだろう。
この本は、博覧強記で知られるウンベルト・エーコが「醜」をテーマにキュレーションした悪趣味な“空想美術館”である。大半は絵画が並び、おなじみの作品が占めているが、僕はまず、彼の解説や論評には一切触れずに、とりあえず自分の目の自由度に委ねて鑑賞することにした。いつも美術館でする仕方で。
『醜の歴史』は必ずしも編年体ではなく、作品は「黙示録、地獄、悪魔」「醜悪なもの、滑稽(こっけい)なもの、猥褻(わいせつ)なもの」という具合に15の部屋にカテゴライズされて展示されている。僕は彼の空想美術館の各部屋をたっぷり時間をかけて回った。
そこである疑問に突き当たった。「いったい何が醜なの? どこにも醜などないじゃないか」と。一般的に、醜は美に対立するとされる。しかし、両者は対立などしていないのではないか。醜と美は見事に手に手を取って、美の地平を目指して歩んでいくではないか。
人間の悪魔的側面は確かに醜い。グリューネヴァルトの傷だらけの磔刑(たっけい)図はおぞましい。フリーダ・カーロの「折れた背骨」の残酷さは目を覆うほど。ピカビアの「接吻」の男女は化け物だ。デュシャンの「モナリザ」の口髭(くちひげ)も美を馬鹿にしているが、決して醜くはない。むしろ美の範疇(はんちゅう)にある。醜いと思われるのは、その表現が下等な場合に限る。
だから一部を除いて、ここに見る作品はどれも美しいのだ。言い換えれば、美の創造者、または優れた鑑賞者にとっては、すでに歴史に位置づけられた美術作品に「醜」は存在しないということになる。美術作品である以上、「醜」はすでに美の中に宿っているからだ。
美を超えた美を表現したいと念じる画家にとっては、ゲーテのメフィストフェレスのごとく、悪魔の想像力が不可欠なのだ。つまり、心の闇である「醜」こそ、美を生む力になり得るのではないだろうか……。
エーコは醜いモチーフを選んだが、決して醜い作品を選んだわけではない。その点で彼は、「醜の美」を十分に理解している。だからモチーフにおいては「醜」は「美」と対立するが、その美術作品の表現においては反発どころか、むしろ融和を図ろうとさえする。
だけど、『醜の歴史』のキュレーターたるエーコが読者のナビゲーターの役割を果たすとき、彼は醜の観念を構築する。そこが面白いではないか。創造者は「眼(め)の人」であろうとするが、キュレーターは「観念の人」であろうとする。
僕はこの書物に対して、実作者の立場から、「見る」ことを最優先した。そして、この空想美術館を立ち去った後、ロビーで『醜の歴史』のウンベルト・エーコの解説を実に愉(たの)しく読んだのだった。彼は醜の魅力を見事に引き出している。
◇
川野美也子訳/Umberto Eco 32年生まれ。イタリアの哲学者・作家。学術的著書に『記号論』『開かれた作品』、小説に『フーコーの振り子』『前日島』、『薔薇(ばら)の名前』など。本書と対をなす著作に『美の歴史』がある。
著者:ウンベルト エーコ
出版社:東洋書林 価格:¥ 8,400
著者:U.エーコ
出版社:岩波書店 価格:¥ 1,260
著者:U.エーコ
出版社:岩波書店 価格:¥ 1,533
著者:ウンベルト エーコ
出版社:青土社 価格:¥ 2,520
著者:ウンベルト エーコ
出版社:文藝春秋 価格:¥ 860
著者:ウンベルト エーコ
出版社:文藝春秋 価格:¥ 860
著者:ウンベルト・エーコ
出版社:文藝春秋 価格:¥ 750
著者:ウンベルト・エーコ
出版社:文藝春秋 価格:¥ 750
著者:ウンベルト エーコ
出版社:東京創元社 価格:¥ 2,415
著者:ウンベルト エーコ
出版社:東京創元社 価格:¥ 2,415
著者:ウンベルト エーコ
出版社:東洋書林 価格:¥ 8,400
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