今こそリアル、反世界・反時代の思想(穂村弘さんのポケットから)

2004年06月06日

 中井英夫著 新装版 虚無への供物 上・下(講談社文庫・各730円)
 夢枕獏著 腐りゆく天使(文春文庫・710円)
 加藤郁乎編 吉田一穂詩集(岩波文庫・798円)
 
 思春期の人間は皆、この世ではない別の世界への入り口を探すものだと思っていた。そして、必ず一度は『虚無への供物』に辿(たど)り着くと。迷宮的なミステリーの形式をとりつつ、ここではないどこかを夢みる者のバイブルのような本書には、反・世界への入り口が至る所に鏤(ちりば)められている。逆さまにはめた時計、青い薔薇(ばら)、同性愛、旧仮名遣い、数え年……。
 だが、今回久し振りに読み返して、その内容が意外なほど戦後の現実に結びついていることに驚いた。
 <いまの時代では、とにかく、ぼくたちは何かに変わりつつあるのかも知れないね。人間じゃない何ものかに。一部分ずつ犯罪者の要素を持った生物というか……><この一九五四年から五五年にかけて、責任ある大人だった日本人なら全部犯人の資格がある筈(はず)だから>
 全編を通じて、日本の戦後という時間に対する呪詛(じゅそ)に充(み)ちている。目をこすって見直せば、前述の反・世界への入り口とは、どれも「デジタルな時間、新仮名遣い、異性愛」など近代から戦後に至る流れの中で確立されたルールのシンプルな裏返しにも思えてくる。『虚無への供物』とは反・戦後の書でもあった。
 戦後の社会システムやその土台にある近代的規範の耐用期限が切れそうな今、本書の反・世界性が生々しい存在感をもって立ち上がってくるようだ。
 「デジタルな時間、新仮名遣い、異性愛」等と同様に、近代から戦後への流れを象徴するものに「散文」や「自然科学」がある。ならば今こそ、それらの裏返しである「詩」の羽撃(はばた)きが我々の耳に聞こえてはこないだろうか。
 『腐りゆく天使』では、大正期の詩人萩原朔太郎の恋に重ねて時代の夢が描かれる。そこに織り込まれた詩と旧仮名遣いと少年愛。口語自由詩の出発点に置かれた「腐りゆく天使」とは、その後の我々が辿った運命の暗示にもみえる。
 また、西脇順三郎をして「若(も)しこの人が詩生活をせずに自然科学を専門にやっていたらノーベル賞に値する何か原理を発見したかも知れない」と云(い)わしめた吉田一穂の詩集が文庫化された。裏返しの「自然科学」としての「詩」に懸けた彼もまた「この時空に現存しない私のふるさと」を想(おも)い続け、反・世界への翼を広げた一人であった。
 (歌人)

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