戦争へ、文学へ 「その後」の戦争小説論 陣野俊史さん

2011年07月31日

陣野俊史さん=高波淳撮影

■新しい「戦争」問う古き評論

 古いタイプの文芸評論、と言う。
 「9・11などの新しい戦争と文学」というテーマで小説を語る。被爆地の長崎に生まれた自らも語り、答え合わせのように作者にも会う。
 作者に聞くのは文芸批評の「禁じ手」に近い。「作者の死」が言われた1970年代以降、作家論は遠ざけられ、作品至上主義が主になった。
 ただ、これが面白い。小説『俺俺』について、作家の星野智幸に尋ねる。作者も「解釈」と出合い、自らを深めていく。「作者と話すと前に行けることがある。自分の『読み』だけではない、もう少し先に」
 かつては「新しさ」に憧れていた。大学では仏文学を専攻。ドゥルーズやガタリの思想も学んだ。だが2、3年前から「学者であることを辞めた」という。「若く優秀な学者がたくさんいる。ならば自分は、自分にしかできない仕事をしよう」と。
 インタビューの手法も、そこから生まれた。ラップミュージックなど、多くの音楽評を手掛けてきた。「ミュージシャンのインタビューもしてきて、本人しか語れない言葉の面白さを残したいと思った」
 阿部和重、リービ英雄……。戦争は日常に溶け込むように描かれ、明確に現れないこともある。だから「自分はこう読みたいんだ、という方向で解釈した」。銃を向けるだけではない。自殺者が年3万人を超えるのもまた、戦争だ。友人に「戦争の概念が壊れていく」と言われた。
 東日本大震災で読み手も揺らぐ。「例えば『腐った魚』とあると、三陸沖をいやが上にも想起した読みになる」。提示した解釈も古くなったと感じる。だが「以前の読解モードを残すのも大切。後に滑稽と思われてもいいから」。
(集英社・2310円) 

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