この人に聞きたい 本の話

「説明はできないけど確かなもの」 小島慶子さん

2011年09月30日

こじま・けいこ 1972年生まれ。元TBSアナウンサー。現在はフリーとなり、TBSラジオ「小島慶子 キラ☆キラ」などで活躍。注目のパーソナリティとして様々なメディアに取り上げられ、2人の子どもを育てながら執筆活動も続ける。38歳で披露した水着グラビアは話題を呼び、10月14日には写真集も発売される。

自身の名を冠したラジオ番組「小島慶子 キラ☆キラ」は大人気、いまや「ラジオの女王」とも呼ばれる。番組では多くの本を紹介し、自身も立て続けに書籍を刊行している小島慶子さんに本の話をうかがいました。

今でも分からない、「人とのつながり」

――新刊の『女子アナ以前』を読ませていただきました。小島さんから読者の方にエールを送る本ですね。
 本を出すお話をいただいた女性編集者の方がほぼ同世代で、子どもを育てていて、働いていて、と状況が似ていたんです。それで「こういうことあるわよね~」なんて話しているうちに、こんな話で本が出せるかもねということになって。仕事や育児、自分探しにおいてのしんどいことって、みんな通ってきていることですよね。女性に限定するわけではないけど、私と同じように働いている人、自分の人生に期待しているけどなかなかうまくいかなくてしんどい思いをしている人が、何かのめぐり合わせでこの本を読んで多少でも「そういう考えもありかな」とか、「自分と同じ考えの人がいるなら悪くないのかな」なんてことを感じてもらえれば嬉しいですね。

――私はまだ独身ですが、この本を読んで、子育て、結婚ってすごくいいものだと感じました。
 自分を中心に同心円状の人の広がりがあるとしたら、誰かと一緒に生きるということは、その一番近いところで密接に関わるということですよね。当然喜びもしんどさも密接なわけですけど、それを一番近いところの人たちと分かち合うことによって、その外側にいる「他者」との関係も豊かになったり、新しい発見があったりするんじゃないかなって思います。必須条件ではないけれど、チャンスがあるのならば、結婚したり子どもを持ったりすることはいいことだと思いますよ。

――本の中でも「他者との関わり、つながり」について書かれていますね。
 人が果たして本当につながれるのかどうか、いまだに分からないです。夫婦だってお互い24時間一緒にいるわけでもないし頭の中が見られるわけでもない。どんなに近くにいてもどんなに長く一緒にいても、本当につながるのかどうか分からないです。でも、分からないにもかかわらず、「きっとつながったんじゃないかしら」とお互い同時に思うことがあるというのは尊いことだと思います。
 それが第三者に対して証明できるつながり方か否かということなんて、あんまり意味がないですよね。数値化できるものでもないし、とても曖昧なものだから難しい。人に説明しようとすると、かえって不自由になるかなって思います。
 若いときは、そういうことに対してすごくストリクト(厳格)で、「人に説明できるもの以外は確かじゃない」と思っていました。でも、「説明はできないけど確かなものがある」と思うことは、結果として自分や他人を楽にしたり、自分の周りに価値のあるものをたくさん見つけるためのヒントを与えてくれて、誰かの役に立てる考え方なんじゃないかなっていう風に思うようになったんです。



大事件! 子宮の中に知らないオトコ!?

――その考えが変わったきっかけは何だったのでしょうか?
 子どもができたということは大きいですよね。よりによって私の子宮の中に発生って、大事件ですよ(笑)。しかも体内ですから、さっきの同心円の話でいったら、中心の内側ですからね。究極に近いのに、会えない人がいるわけです。挙句、それが男だっていうんですよ。「オトコ? 私は女なのに、私の中にオトコが入ってる? しかも知らない人!?」って(笑)。しかも、産まれてきたら、「お腹を痛めて産んだ自分にとって一番近い人」だって言うでしょ。「嘘だっ!」って思いましたよ(笑)。ものすごく遠い人だった。十ヶ月間、会いたくても絶対会えなかった人だし、よりによって世界で一番近いところに「男性」という究極の他者が居続けたわけですよ。でも産まれると私たちは母子であり親子であり、血を分けたほどの仲なんだから誰よりも深い関係って言われますよね。じゃあその関係の深さ、分かり合えているって、何をもって言うんだろうと思って。不思議でしょうがなかったんです。

――確かに、子どもはお腹にいるときは「会えない人」であり、産まれてきても「別人」ではありますね。
 よそよそしい意味ではなくて、最初から自分の中に他者がいるという感覚で、この子は意識が発生した段階から「僕は僕」と思っているんだろうなと思っていました。私の中にいるとはいえ、どう考えたって別の脳みそと別の身体なわけだから、「最初から私たちはバラバラなんだ」って。最初から最期までバラバラなのに、「バラバラじゃない」と思うってどういうことだろうって。

 だから、それまでの「家族ってこうじゃなきゃいけない」「愛とはこうじゃなきゃ」とか、「信頼とは、親友とは…」といった自分の中での理想としていた考えや基準のようなものが一度解体されたんです。産まれた子どもは、私から栄養を受けて産まれ、遺伝子には私の情報と夫の情報が半分ずつ入っているわけですけど、いま子どもが考えていることは分からないし、同じものを見たり食べたりしても反応は当然ながら私とも夫とも違うわけじゃないですか。そうするとやっぱり「他者なんだな」って。それを実感しちゃったんです。自分とうんと近い人間を知れば知るほど、逆にいかに自分と違っているかということが際立ちますよね。そんなにバラバラなのに「近い」って思うことは尊いな、「私たちは一つである」と思える感覚を持てるということはその人との出会いは奇跡なんだなと思うようになったんです。こういう考え方で、多少希望が持てるんじゃないかなと思います。

――自分の子どもに対しても程よく距離があいているという意味で言うと、リスナーや読者の方々に対して与えるメッセージと、お子さんに与えるメッセージも近いのかなという気がします。小島さんが「同心円状の中にいる人」として接していることが伝わって、共感するリスナーや読者の方々が多いんでしょうね。
 そうだと嬉しいですね。さっきの同心円の理屈も全く同じで、「自分と他者」というたった一つのことしかないわけで、親子、夫婦、友人と、どんどん広がっていく先にリスナーや読者の方々がいて、中心で起こることと外郭で起こることは、距離が違うことで多少変わったり、伝わったときの波の強さは弱くなったりするかもしれないけど、出来事としては同じですよね。でも、親子という関係があって、それと別に職場での関係があって、という風にバラバラに考えると、「どれが本当の私なの?」とか、「親としてはこうしなきゃ」とか思って負担になってしまいます。
 それに、実は心理的な距離と関係の近さって比例しないんですよ。「比例させなきゃいけない」と思うととても苦しい思いをすることがあって、私と母との関係がそうでした。母とは「私のママなんだから、自分に一番近いところに置かなきゃ」と思って苦しくなってしまって。でも母を一人の独立した他者としてみるとき、同心円状のどの距離にその人を置くと、最も相手のことを尊重して慮ることができるのかという適正な距離を探す作業をしたんです。


母親も子どもも独立した「他者」
そんな他者と「分かり合えた気がした」と思えることは尊い


――それが「不安障害」になってしまったときのカウンセリングだったんですね。
 私はずーっと、母とのことでものすごく苦しんでいたけれど、カウンセリングを受けるうちに、だんだん頭の中が整理されてきて、今は私は母を同心円状のかなり遠いところにおいています。でもだからといって肉親の情が薄いかといったらそんなことはなくて、なるべく彼女が幸せであるように、なるべく彼女の肉体が安全であるようにということに心は砕いていますけど、ただ、それをうんと近い距離で密なコミュニケーションの中でやらなくてはならないと思うと、実はお互いとても傷つけあうことになってしまうんです。
 逆にリスナーの方のように、私からは同心円状のかなり遠いところにいる、つまり会ったことがなくて、たまたまラジオを聞いてくれたりtwitterを読んでくれただけの人かもしれないけど、その一瞬はすごく近く感じる人もいますよね。ほとんど知らない関係であるにもかかわらず、そんな近いところに私を置いてくれるということが嬉しいし、人と人の交わりって、続柄とか空間とか時間とかというものから自由なものなんだということが実感できて。そう思うと肉体の牢獄から解き放たれたような感じですよね。

――なんだかもう悟りを開いたような…。
 いやいや、悟りは開いていないですよ(笑)。でも、「どうもそういう考え方は便利だぞ」ということに気付きました。地球の裏側まで自分探しの旅をしなくても、新しい世界が自分の前に広がるんだなって。これは昔からわかっているようなことなんでしょうけど、私は自分のチマチマした実生活の中でこれを経験したので、きっとみなさんが「絵にならない」と思っているような普段の自分の生活の中にも、そういう入り口があるんだよということに気付いてほしいと思いますね。

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