よみたい古典

中野翠さんと読む「浮雲」(上)

2011年11月20日

イラスト・金子真理

■イラッとするキャラクターいきいき

 初めて言文一致体で書かれた近代小説——。お題目だけは、国語の授業で聞かなかった人はいなかろう。しかし、これくらい名前は高いのに読まれない古典もない。
 ドラマが起きそうで起きない。人格高潔、まじめで学もある主人公文三は、しかし世渡り下手で、役所をクビになってしまう。「かつて身の油に根気の心(しん)を浸し、眠い眼(め)を睡(ね)ずして得た学力を、こんなはかないばかげた事に使うのか」とプライドだけは高いから、再就職にも腰が重い。ひかれあっていたはずのいとこのお勢は、そんな文三に愛想を尽かし、軽薄才子の昇になびいていく。
 福岡県の読者二宮正博さん(62)からは「文三は今風に言えばリストラされてフリーターになった生活力のない若者。これからの身の振り方に専念すべきなのに、片思いの相手の一挙一動に気を取られ、ののしりたくなる」とおしかりの手紙が届いた。
 エッセイストの中野翠さんは「もしも今の小説としてこれが文芸誌に掲載されたら、たぶん私もイラッとするんでしょうね」と笑う。「自意識というものに目覚めた人間を描いた、ほとんど最初の小説。明治の色が濃いから読める。当時の風俗がわかる、挿絵付きの本が絶対におすすめです」
 文三にお勢、昇など登場人物には「よく似た人物が周りにはいっぱいいる。自分も、文三になったり、昇になったりして生きている」と広島県の岡本修芳さん(70)は書いた。
 中野さんも同感だ。「昇を、そんなに嫌いになれない。四迷は、人物類型ではなく、典型を書くのがうまいんですよね。彫りが浅くて分かりやすいフラットなキャラクターが類型。個人のいろんな感情のひだを書き分け、陰影があり、時代を超えてリアリティーのある人が典型」
 「男をじらすだけ自分への思いが長続きするとお勢は悟った。いつの時代も女性は怖い」とは埼玉県の藤村敏さん(60)の感想だが、中野さんは「小生意気でこまっしゃくれてるお勢は、女としての自分の値打ちを知りたいだけ。文三も昇も、彼女の自意識にとって便利な存在。でも、こういう子って今でもよくいますよね」と言う。
 「今一言……今一言の言葉の関を、踰(こ)えれば先は妹背山(いもせやま)」「恐れ煎(い)り豆はじけ豆ッ」「叔母の悪々(にくにく)しい者面(しゃっつら)をおもい出して」
 粋な決めぜりふ満載の古色ゆかしい明治の文体に、フリーターも非リア充もチャラ男も肉食女子も、色鮮やかに踊っている。
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 二葉亭四迷/岩波文庫693円、新潮文庫420円。現代語訳に河出書房新社、1575円。
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