人間文庫(週刊朝日)

増補 遅読のすすめ [著]山村修

2011年12月30日

■何の必要で多読?ゆっくり読むことの充溢

 賑やかな日刊ゲンダイ紙上で、そこだけ静かな井戸のようだった「狐」の書評欄。「狐」が油揚げの帽子を取り、山村修として最初で最後のご挨拶をしたのは逝去の年(06年)。この親本当時、狐と山村は別人物である。
 本書で「遅読」の対極にあるのは「多読」や「速読」だ。そういえば今世紀スタートからしばらく、本を怪物的に喰らうスタイルがもてはやされた。例えば立花隆や福田和也の流儀。山村は言う。何の必要があってそんな読み方をするのか。職業上の要だとしても、それが「彼ら以外のどんな人にとって必要なのか」。
 山村は青山学院大の図書館司書というサラリーマン書評家だった。若い頃は読書三昧の人を羨んだこともあったが、あるとき通勤鞄の中に入れていた丸山薫の詩集で我に返ったという。〈汽車に乗つて/あいるらんどのやうな田舎へ行かう〉と始まるその詩は、2度読み返して1分。それでも深い感動に包まれた。ゆっくり読むことで得られる充溢、幸福、驚き、歓喜。遅読の先達も紹介しながら、本書は“生活人の読書”に寄り添う。
 この問題は近年、管啓次郎の『本は読めないものだから心配するな』で決着がついた。2人の対談が読みたかった。

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