よみたい古典

仲正昌樹さんと読む「君主論」(下)

2012年02月05日

イラスト・金子真理

■「共通善」前提とせず問うた

 「権力の保持に有益か否かだけが価値判断の基準で、道徳的な視点での善悪や正義・不正義は問わない。マキャベリズムには負のイメージがある」(福岡県の二宮正博さん・62)、「人間を性悪とする観察が根底にあり、それがマキャベリズムとつながっている」(京都府の藤村喜章さん・28)
 マキャベリ『君主論』といえば、まず出てくる批判だろう。ただし、金沢大学教授(政治思想史)の仲正昌樹さんによれば、何が悪で何が善か、そもそもの道徳が限りなく揺らいだ時に出た実践思想がマキャベリだったという。
 「キリスト教の支配力が弱まった時代です。なぜ国王が人民を統治できるのか? 神に使命を与えられたからという説明では、もはや難しくなっていた。人間と人間の間には、無根拠で信頼していい信義がある。そうした、かつては自明だった前提を取り除いたら、一体どうなるか、マキャベリは冷ややかに観察した」(仲正さん)
 無批判に相手を信用しては破滅する。逆にすべての局面で裏切っても、最後はうまくいかない。〈状態〉がだんだんと安定していく力学を描いて、ある意味、現代のゲーム理論の先駆けとなる思考をしたのがマキャベリだった。
 最初の手紙に戻れば、そもそも共同体の成員全員にとっての善、正義、徳など、あるのだろうか。
 リベラリズム(自由主義)の再定義を求めて1980年代から思想界で大きな力を得てきたコミュニタリアニズム(共同体主義)は、共同体の生活にふさわしい徳、つまり「共通善」の重要性を訴える。ところが、共通善を自明の前提としないで、根底から問うていたのがマキャベリだ。
 「共通善は自明ではない」という立場では、仲正さんも同じだ。
 「今の日本では、税金や福祉、格差の問題があるなかで、どう財源や人的資源を配分していくか、世代間の公平性をどうするか、何が日本人全体にとっての善となるのか、その合意は自明ではないでしょう。人間とは集団として集まった時に、どういうふうに〈善〉を設定していくものなのか。もっと言えば、本来個々に自由勝手であるはずの人間が集まって、なぜ政治体制を生めるのか。その際の人の振る舞いを観察したのがマキャベリなんです」
 ジャンジャック・ルソーは著書の『社会契約論』で、「マキャベリは国王たちに教えるようなふうをして、人民に重大な教訓を与えたのである。マキャベリの『君主論』は共和派の宝典である」とまで賞賛している。
 高知県の島村京子さん(54)は「常に『人間の本性とは何か』と問い、人間心理を深く追求しようとする思いがつかめれば、ぐんと面白くなる」と書いた。
 マキャベリは、人間なんてこんなもの、という安易な前提を取っ払った。「人間は信頼できる/できないと無根拠に思いこむのではなく、こういう行動原理があるときに信頼できる/できないと分析した」と仲正さんは考える。
 人間の根源を問うたという意味で、近代哲学の祖はデカルトではなくマキャベリだったとも、仲正さんは話した。
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 マキャベリ/講談社学術文庫・798円、中公文庫・820円、岩波文庫・840円

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