よみたい古典

鷲田清一さんと読む「パンセ」(上)

2012年02月12日

イラスト・金子真理

■「やぼ」な議論はいけません

 人間は考える葦(あし)である。
 『パンセ』のこの一節だけを知っている人も多いだろう。広く知られた古典ではあるが、小林秀雄がこの言葉は「あまり有名になり過ぎた」と書いたように、「気の利いた洒落(しゃれ)」として、誤解され世に広まった面もあった。
 「敗戦の翌年に読んだ」という長崎県の読者・長田陽雄さん(80)は「人間を抹殺するのには蒸気や一滴の水でも十分だ、という文章に衝撃を受けた。(原爆で)原子エネルギーのすさまじさを知らされた少年にとってあまりにも生々しかった。今また、暴走した原子エネルギーに国全体がおののいている」とつづった。
 哲学者の鷲田清一さんは「人間とは、血に水一滴をいれるだけで死んでしまう弱い存在。でも、宇宙のことも考えられる。だから、考えるのが大事なんだ」と受け止める。「そしてパスカルは『人間の弱さは、それを知っている人たちよりは、それを知らない人たちにおいて、ずっとよく現れている』とも書いています」
 独立した短い文章の羅列に、「脈絡がない」といった投稿もあった。パスカル研究者の山上浩嗣さん(45)は「未完の草稿を含む断章の集積。気楽に拾い読みしていい」とアドバイスする。
 鷲田さんも「残された走り書きを、後代の人が編集してテーマごとにまとめた。散漫なのは、しゃあないね」と話す。でも、と急いで付け加えるのは、「哲学者には二つのタイプがある。一つはカントやヘーゲルのように、隙のない論理で思想の大伽藍(がらん)を建てるタイプ。もう一つは、テーマも形式も自由に書いた人。ニーチェがそうだし、アウグスティヌス『告白』もそう。プラトンは対話形式で書き、その先生のソクラテスはそもそも書物を残していません」。
 当の鷲田さんも、『モードの迷宮』など多くの著書で、衣服や顔、弱さなど、今までの哲学者が取りあげてこなかった主題を好み、自由に論じてきた。
 「やぼで、がちがちな議論はいけません、とパスカルは言っているんじゃないかな。何かが憑依(ひょうい)したように、真理や正義を語る人がいる。そんな人の顔は怖いです。他人に対して攻撃的。関西には『アホになれんやつが本当のアホや』という感覚がある。笑われ役を引き受けられない優等生が、関西人は嫌いなんです。パスカルの哲学に似ていますね」
 ではあえてやぼに、「哲学とは何なのか」と聞いてみた。少しの沈黙の後、「世の中の人が当たり前だと思っていることについて、その根拠を問うこと。当たり前だと思っていたことが、思いこみやイデオロギーに過ぎないということを気付かせること」と鷲田さんは答えた。
 『パンセ』を探してみると……、あったあった。
 「哲学をばかにすることこそ、真に哲学することである」
    ◇
 パスカル/中公文庫・1150円、白水社・2940円、中公クラシックス2巻1733〜1628円

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