再読 こんな時 こんな本

書店員に聞く 写真論の本

2012年03月10日

 今や数字の上では、日本人の一人に1台以上の割でカメラが普及している。これに加えて携帯電話に付属したカメラもある。やみくもにシャッターを押す前に、ちょっと考えてみたい。何を、なぜ、写真に撮るのか、と。
■八重洲ブックセンター八重洲本店 宮崎穰さんのおすすめ
(1)実をいうと私は、写真を信じています [著]荒木経惟
(2)ちょっとピンぼけ [著]ロバート・キャパ
(3)写真を愉しむ [著]飯沢耕太郎
 ▽記者のお薦め
(4)写真論 [著]スーザン・ソンタグ
 「写真の詩人」と呼ばれた写真家がいる。
 今から27年前、新米特派員として南米に赴任する途中、私は米ニューヨークに立ち寄り近代美術館の写真展を見て目を見張った。国立公園の風景だが荘厳なまでに美しく、見ているだけで涙が出そうになった。
 撮影したのは米国の写真家アンセル・アダムスだ。彼は1枚の写真を撮影するためにも最適の時と場所を求め、労をいとわず駆け回った。その写真は人を感動させたため、彼に付いたあだ名が「写真の詩人」だという。ならば私も現場をかけずり回って取材し、記事で人を感動させる「新聞の詩人」になろうと思った。
 アダムスは自然保護団体シエラクラブの有力会員で、環境活動家でもあった。第2次大戦中には抑留された日系人の収容所を訪れて撮影し、日系人を敵性国民と見て自由を奪うのは米国憲法への違反だと世に訴えた。自由と正義を求めた芸術家だ。
 「内なる精神の目で見つめた自然の明白な事実は、神の究極の響きを明らかにする」とアダムスは言う。透徹した目で対象に肉薄することで人を感動させる作品を生み出した。
 宮崎さんがまず推す(1)『実をいうと私は、写真を信じています』は、アラーキーこと荒木経惟のエッセーだ。「写真家は半熟でなければいけない」「『女性』は、すでに表現している」など、うならせる文句がここかしこに出てくる。宮崎さんは文中の「写真は、まず自分が愛しているものを撮ることから始めなくてはいけません」の語句に、写真を撮る行為の原点を見たという。
 荒木によると、「私情主義」の彼とは対照的に客観的な「現情」に徹したのがロバート・キャパだ。写真集団「マグナム」を創始した彼の名著(2)『ちょっとピンぼけ』は、写真界の古典である。「一人の子供の顔の中に、あの民衆全体の恐怖を、彼は示した」と、巻頭言で友人の作家スタインベックは書いた。
 (3)『写真を愉(たの)しむ』は、写真評論家の著者が「素人の人に合わせてかなり具体的に教えてくれる本」(宮崎さん)だ。写真を撮るだけでなく、「見る」「読む」「集める」など別の楽しみも体験から語る。プロの写真の世界が急に身近になったような気にさせてくれる1冊だ。
 私が推薦する(4)『写真論』は、米国の女性作家で哲学者でもある著者が写真について意味深く記した、正統派の写真論だ。「写真は説明はしない。写真は認識するのである」「カメラは見ることのために見るという観念を養うことによって、見ること自体を変えた」など、難解な言葉が目白押しだ。写真を通じて世界の見方を考えさせてくれる。(伊藤千尋)
    ◇
■〈見るなら〉アニー・リーボヴィッツ レンズの向こうの人生
 黒いセーターとブルージーンズを着たオノ・ヨーコに全裸のまましがみつくジョン・レノンを撮った写真家は、数時間後にこのカップルにふりかかる惨劇を知らなかった。仮にその日、1980年12月8日がジョンの命日になる予兆を感じとっていても、これほど赤裸々で邪気のない聖母子のようなカップルを撮れただろうか。
 70年代にローリングストーン誌で名をあげた写真家、アニー・リーボヴィッツは、このドキュメンタリー映画で「写真家の人生はレンズを通して見るそれである」と言い放ち、「最高の写真を撮るには被写体に入りこむ必要がある」と断言する。被写体にされた人物は来る日も来る日も彼女につきまとわれ、誰も見たことがない自己イメージを切りとられてしまう。
 不可視の心象を可視化する。そんな光の錬金術をあやつれなければ、写真家の資格はない。
 DVDの発売元はギャガ、4935円。

関連記事

ページトップへ戻る