よみたい古典

内田樹さんと読む「ハックルベリー・フィンの冒険」(下)

2012年03月11日

イラスト・金子真理

■現実の枠ずらし生き延びる 始原的な「ロードムービー」

 黒人奴隷ジムとともに大河をいかだで下る少年ハックの逃亡。物語の大きな柱はジムとハックとの、微妙な心理のあやだ。
 福井県の読者・竹原利栄さん(73)は「黒人をロボットのように扱っていた時代を経て、今の差別社会アメリカがある」、東京都の久保田英夫さん(72)は「ジムを奴隷から解放し、ハック自身も社会の堅苦しさから逃れ自由になりたい気持ちがある」と書いた。
 作品が発表された1885年は、奴隷解放宣言(62年)からまだ間もない。また、「黒んぼ」と蔑称を多用して、保守派・進歩派の両方から批判された。思想家の内田樹さんは「この時代のポリティカル・コレクトネス(PC、政治的公正さ)は〈逃亡した黒人奴隷は捕まえなければならない〉ということだった。普段ものを考えないハックも、ジムのことになると混乱しちゃう。PCは分かっているが生活感覚で納得できない。時代を支配する主要なイデオロギーに、生身の少年が苦しんでいる。この小説を差別的と批判するのは、まったく読めていない」と語る。
 ミシシッピ川自体が、重要な“登場人物”となっている。神奈川県の麻川冴さん(54)は「いかだの上で流れに身を任せて、陸の事件を客観的に見つめるハックはほとんど超越者のよう」と書いた。
 内田さんも「川がある種の特権的なトポス(場)になっている」と感じる。「流されたり難破したりで、川は必ずしも親和的融和的ではない。けれど、自然の中にいることで生命力が躍動する」
 映画にも詳しい内田さんには「最初のロードムービー」ともうつる。「ロードムービーは、主人公がバイクや車や列車で移動し、人と関わり、成長する。ハック・フィンでは、道のかわりに川がある。ハックのいかだは時速7キロぐらいかな、大人が歩くくらいの速度でしか移動しない。行き先も自分で決められない。だからずっとパッシブ(受動的)な、始原的なロードムービーですよ」
 物語は最終盤、再びトム・ソーヤーが現れ、ハックと協力してジムを逃がす。京都府の児玉泰地さん(19)は「関係としてはトムの方がハックよりも上。2人の、矛盾とも思える関係が面白かった」と書いた。
 内田さんの見立ては「トムとハックは2人でワンセット」というものだ。「よく読むと、トムは大した冒険をしていない。遠足の列をダイヤモンドの隊商に見立てて強盗したり。平凡でつまらない日常を、想像力で修飾し、ワクワクする冒険に塗り替える。対してハックの川下りは、とんでもなくやばい事件の連続なんだけれど、それをあたかも日常生活のように淡々と生きる。トムとハックで方向はまったく逆だが、日常を拡大したり縮減したりで、少年には耐え難い現実の枠組みをずらし、加工し、生き延びていくんです」
 頭のさえたトムは、この後、東部の名門大学に入ってビジネスマンとして成功、州の下院議員に当選。一方の自然児ハックはのちアメリカ共産党の設立に立ち会う……。そんな続々編を、内田さんはつい、想像してしまう。
    ◇
 マーク・トウェイン/岩波文庫上下・588~693円、偕成社文庫上下・各735円など

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