文理悠々

1本のバラと星の王子さま

2012年06月01日

今年咲いたバラ=尾関章撮影

 バラの季節、今年はことのほか、その華麗さが目にしみる。この花ときってもきれない英国の王室では、エリザベス女王の在位が60年となった。そして隣のフランスでは、やはりこの花と縁浅からぬ社会党の大統領が登場した。

 英王室はともかく、なんで仏社会党なのか、と首をひねる向きが若い人の間には多いかもしれない。フランスで31年前、社会党候補のフランソワ・ミッテラン氏が大統領に当選したとき、その運動のシンボルになったのが赤いバラだった。

 当選が決まった直後の首都の様子を伝える小紙記事には「五月のパリは、マロニエの季節。シャンゼリゼ、サンジェルマン大通り。その白い花の下を、若者が赤いバラの花を高々とさし上げて『変化だ。変化の到来だ』と叫ぶ」とある(朝日新聞1981年5月11日付夕刊、浅井、鴨志田特派員電)。社会党本部のホールは赤いバラで埋め尽くされ、共産党本部を警備する警察車両にまで「赤いバラがさしてあった」という。

 それと比べると、フランソワ・オランド氏の大統領選勝利は盛り上がりを欠く。欧州は厳しい経済危機に直面しており、その打開のカギを握るのは独仏だ。サルコジ前大統領と同様、ドイツのメルケル首相との関係を緊密にしてほしい、という国際世論もある。「変化だ。変化の到来だ」とばかりは言っていられないのだろう。変革への思いを赤いバラに託す、という時代状況にはない。

 ともあれ、バラとは、なんと魅力的な花であろうか。王室とのかかわりで思うのは、その気品あるたたずまいだ。そして、花びらが赤ければ、それは民衆の情熱をも連想させる。ということで今回は、バラがヒロインとなる『星の王子さま』(サン=テグジュペリ著、河野万里子訳、新潮文庫)をとりあげる。素直に子ども向けの童話として楽しめるが、大人が手にとれば、ものの見方を深めてくれる小説にもなる。

 訳者あとがきによると、作者は1900年生まれ。貴族出身だが、順調な前半生ではなかった。幼いころに父を亡くした。親族から海軍士官になるよう促されるが、海軍兵学校の受験に失敗した。トラック販売の営業マンなどを務めた後、20代半ばで念願のパイロットになる。民間の郵便輸送機の操縦桿を握ったのだ。航空関連の仕事のかたわら文筆をふるい、『星の……』を世に出したのは43年。第2次大戦のさなかだった。

 さて、なぜ今回のタイトルに「1本のバラ」という言葉をふったのか。それは、「百万本のバラ」(A・ボズネセンスキー作詞、加藤登紀子訳)のことが頭のどこかにあったからだ。街中のバラを買い集めて、百万本を「あなたにあなたにあなたにあげる」とうたうあの歌だ。そこには、無数のバラを一人の女性に贈る構図があるが、『星の……』は違う。あえて言えば、無限の思いを「1本のバラ」に捧げる物語といえよう。

 この物語の1人称「僕」はパイロットで、サハラ砂漠に不時着したときの体験を振り返る、という想定。そこは「人の住む地から千マイルものかなた」で、「飲み水が、一週間分あるかどうか」という状態だった。砂の上で、いつのまにか眠りに落ちたが、夜明けに「おねがい……ヒツジの絵を描いて!」という声に起こされる。目を開けると「とても不思議な雰囲気の小さな男の子」がいた(今回は、引用中のふりがなを省く)。

 その子は「僕」の壊れた飛行機を見て「なに?」と聞く。「これは飛ぶんだ」と答えると、「きみも空から来たんだね! どの星から?」という。こうしたやりとりの末に、この子は小惑星から旅してきた「王子さま」なのだ、とわかってくる。

 なにしろ、とてもこぢんまりした天体だ。夕陽を見たければ「ほんの何歩かいすを動かせばいい」。王子は「陽が沈むのを、一日に四十四回見たこともあったよ!」と懐かしむ。そこには、火山が三つ。人の背丈よりも低いので「朝ごはんをあたためるのに、なかなか便利」だし、「きれいにそうじをしておけば、火山というのは静かに規則正しく燃えて、噴火はしない」という。ほんとかな??

 でも、自分の住む天体が小さいのはよいことばかりではない。心配は、バオバブの木の「根が星を貫通する」ことだった。小惑星が「ついには破裂してしまう」から、ヒツジに若木を食べてもらえないか。それが、ヒツジの絵をほしがった理由だった。

 この小惑星で、王子が思いを寄せたのが1本のバラだ。「ある日、どこからともなく運ばれてきた種から、その花が芽を出した」。はじめ、王子は「新種のバオバブかもしれない」と警戒する。だが、それは伸びるのをやめ、開花の支度に入った。「念入りに色を選んで、ゆっくりドレスをまとうと、一枚一枚花びらを整えた」。この時点で、この花がバラだとは読者に開示されないが、おしゃれに心を砕く様子から、そうと察せられる。

 花が開いたときの一言は「ああ! いま目がさめたところなの……あら失礼……まだ髪がくしゃくしゃね……」。王子が感嘆のあまり、「なんてきれいなんだ!」と漏らすと、「そうでしょう?」と応じる。タカビーといえば、これほどタカビーはいない。「朝ごはんの時間じゃないかしら」。そう求められて王子は「どぎまぎしながら、じょうろに新鮮な水をくんで持ってきて、たっぷりごちそうした」。

 からだのトゲはトラから身を守るため、と言うバラに、王子は「ぼくの星にトラはいないよ」「それにトラは草を食べない」と反論する。すると、「わたし、草じゃありません」と言い返されて「ごめん……」と謝る羽目になるのだ。さらに、風が吹き込むのが嫌なのでついたてがほしい、夕方にはガラスの覆いがほしい、と言いたい放題。それで、王子はとうとう、その小惑星から逃げだすことにした。

 別れの朝、王子はバラの世話をしながら、思わず泣きそうになる。バラはバラで、「わたし、ばかだった」「ごめんなさい」と悔いて、「そうよ、わたし、あなたを愛してる」と打ちあけるのだ。

 王子は地球に来てから、バラ園に迷い込んで衝撃を受ける。「あの花は、自分のような花はこの世に一輪しかないと話していたのだ。ところがいま目の前に、そっくりの花が五千もあるではないか」。あのバラも「ただのありふれたバラ」だったのか。

 ところが、たまたま出会ったキツネがこんなことを言う。「きみはまだ、ぼくにとっては、ほかの十万の男の子となにも変わらない男の子だ。だからぼくは、べつにきみがいなくてもいい。きみも、べつにぼくがいなくてもいい」「でも、もしきみがぼくをなつかせたら、ぼくらは互いに、なくてはならない存在になる」。それぞれ、相手を「世界でひとりだけの人」「世界で一匹だけのキツネ」と思うようになるというのだ。

 王子は再び、バラ園に入って気づく。「彼女だけが、きみたちぜんぶよりもたいせつだ。ぼくが水をやったのは、あのバラだもの。ガラスのおおいをかけてやったのも、あのバラだもの」。文句や自慢に耳を傾けたのも、彼女が「ぼくのバラ」だからだ。

 そして、キツネの別れ際の一言。「きみのバラをかけがえのないものにしたのは、きみが、バラのために費やした時間だったんだ」「きみは、なつかせたもの、絆を結んだものには、永遠に責任を持つんだ。きみは、きみのバラに、責任がある……」

 読んでいると、遅い便の飛行機から、眼下のまちを見たときの夜景が頭に浮かぶ。住宅地の上空なら、家々の窓から漏れるあかりが点々と見えてきて、胸がきゅんとなる。あかりの一つひとつに、だれかにとってかけがえのない人が暮らしている。それは「何百万も何百万もある星のうち、たったひとつに咲いている花を愛していたら、その人は星空を見つめるだけで幸せになれる」という王子の言葉に重なる。

 サン=テグジュペリは、そんなふうに夜のまちを見下ろすパイロットだったのだろう。この本からあふれ出てくる思いは、人間一人ひとりの生命が粗末にされた時代に突きつけた強烈な異議申し立てだったように感じられる。

星の王子さま (新潮文庫)

著者:サン=テグジュペリ、Antoine de Saint‐Exup´ery、河野 万里子
出版社:新潮社

表紙画像

関連記事

ページトップへ戻る