文理悠々

何事もそこそこで、という進化論

2012年05月04日

羽化して可憐な姿を現したモンシロチョウ。これは雄だという=今年3月、高知県四万十市で菊池均撮影

 モンシロチョウの恋話ではじまる本を見つけた。『なぜ男は女より多く産まれるのか――絶滅回避の進化論』(吉村仁著、ちくまプリマー新書)。今回は、このブログには珍しく、4月に出たばかりの新刊を紹介しよう。

 キャベツ畑で舞うチョウの男子は、蜜を求めて花から花へ移っていくが、満腹になると葉陰に目をやって「ガールハント」モードになる。だが、かなりの男子は「女子との恋を実らせることはない」。もてる男子はそんなに多くないのだ。

 この見立ては、著者自身の青春に重なる。高校時代、合宿先での話。「フォークダンスで女の子と手をつなげる」と楽しみにしていたら、男子があぶれて「女子の役でも!」と促される羽目になったという。

 著者は、海外での研究歴が豊かな数理生態学者。進化のしくみを探ってきた。生物学は「感情移入を否定しがち」だが、それに異を唱え「動物の立場に立ってその生活を考えることによって、今まで見えてこなかった生物の本質が見えてくる」と言い切る。チョウと我が身を同列に語るのも、その表れだろう。そこには、研究者が陥りかねない上からの目線を避け、生態系の現実を踏まえた下から目線を重んじる姿勢がみられる。

 この本のキーワードは「変動環境」と「絶滅回避」だろう。そこにも、僕たちがなじんだ「総合学説という現代進化論」への批判がある。現代進化論は「『強い個体』が子孫をたくさん作るという、『競争』を基礎にした概念」をはらむ。それを裏打ちするのが、ショウジョウバエの試験管実験であることに、著者は問題をみる。「試験管の中は外敵がまったくいないとても住みやすい安定した環境で、絶滅などとは無縁」だからだ。

 ところが現実は違う。「40億年の生物の進化史を見ると、五大絶滅にみるように、全滅がとても多い」「現代に見られるさまざまな生物は、その変化する地球の環境の中で、生き残りをかけて、つまり絶滅を回避して、進化してきた」のである。

 そこで、著者は進化のしくみに二つの原理を立てる。第1原理は「変化・変動する環境の中で、絶滅を避けるための適応進化」、第2原理は「安定した環境の中で、競争相手を排除して生き抜く適応進化」だ。絶滅回避を競争より前に置いたのだ。

 ここで言わずもがなのことをあえて言えば、進化論は一つの個体が子孫を巧く残せるかどうかを考察するが、人間はそれとは違うところで生きている。生殖にとって代わる関心事は、一人ひとりが築いてきた社会的、文化的な諸々のものをどれだけ生き延びさせ、後世代に伝えられるかどうか、ということだ。今流に言いかえれば、持続可能か。絶滅回避の進化論は持続可能の知恵と重なり合うように思う。

 この本は、数学嫌いな人にはちょっと苦痛な、逆に言えば、数学が好きな人にはたまらない記述を繰り広げる。足して2で割る式の「算術平均」と、掛けてルートをとる式の「幾何平均」との比較論だ。このくだりは、数学が苦手な僕も正確に要約する自信がないので結論だけをそっくり引用しよう。「変動環境での正しい尺度は、従来の算術平均適応度ではなく、幾何平均適応度(積算成長率の幾何平均)である」という。

 環境に応じて変動する生物個体群の成長率を平均して、適応度を比べる数値実験をしてみよう。個体のタイプにaとbがあり、その環境にAとBがあるとする。aは「環境Aで最適でもっとも子供を多く残すが、環境Bでは最悪でほとんど子供を残せない」、bはその逆で「Bで最適」だが「Aでは最悪」だ。そこに、AでもBでも「相当に優良」だが「それぞれの環境で最適なタイプには及ばない」というタイプxもいたとする。

 ここで環境がA、Bになる確率が半々という変動状況を想定して、aとbの適応度を幾何平均ではじき出してみると、タイプxがaやbをしのいでトップに立ったのだ。「どの場合でも『そこそこ』」のタイプこそ、変動環境下での絶滅回避では勝ることになる。

 この本には、絶滅回避という第1原理がみてとれる興味深い具体例がいくつか挙げられている。著者の思い入れが最も強く感じられるのは、「素数ゼミ」の話だ。米国の中西部から東部、南部の一帯にいるマジシカダ属のセミで、17年周期、あるいは13年周期で大発生を繰り返す。なんでこんなに長いのか、なんでその年数が、1と自分以外の数では割り切れない素数なのか。

 ミステリーのようにも読める本なので、この答えを書くことには躊躇する。だが、謎解きのさわりだけは触れておこう。まずは、自然界にさまざまな周期のセミがいたと考える。たとえば、15年周期もいた、18年周期もいた、という具合だ。それらが出会うとどうなるか、交雑するとどうなるか。こうした思考実験を進めていくと、「13年」と「17年」がどれほど有利か、がわかってくる。

 書名にある「なぜ男は女より多く産まれるのか」という問いも、この絶滅回避のしくみで解き明かされていく。この本は「『男子が多く生まれるのは男子の死亡率を補うため』という俗説は、俗説でないことが、世界で初めて絶滅確率から理論的に証明されました」と高らかにうたうのだが、充足感がいまひとつなのは、ではなぜ男子の死亡率が高いのかという疑問は残されたままだからだ。

 男子の死亡率が女子と比べて高いという偏りは動物の世界では広くみられるとして、「オスは種付けで役割が終わりますが、メスは出産・子育てと長生きが必要だから」という理由も述べられているが、そうならば、死亡率を同等にして多く生まない、という選択肢もあってよいのではないか、と思ったりする。もちろん、そのあたりのことは数理にもとづく思考実験でこれからわかってくるかもしれない。

 この1冊は、きわめて今日的なメッセージをはらんでいる。それは、生物界の探究ということを離れて、いま我々が置かれている社会状況の問題解決にもヒントを与えてくれるからだ。

 一つには、競争より共生を、という思想に響き合うことだ。生態学では、数理理論が盛んになった1960年代から「競争排除則」がもてはやされるようになった、という。「限られた同一の資源を共有する生物はお互いに排除してしまい他種を絶滅に追いやる」とみる考え方だ。だが、これでは「実際の生態系ではなぜこんなにも種が多様性に満ちているか」を説明できない。競争排除と逆向きのしくみがあるはず、というのだ。

 もう一つは、「3・11」を経た我々の胸に突き刺さる教訓を与えてくれることである。

 野鳥の産卵数をめぐる思考実験は、とりわけ示唆に富む。親が卵を七つ産むことができて、ヒナを6羽までなら育てられる、という鳥についての話だ。ただし、この鳥の置かれた世界では、10年に1度、干ばつなどの災害で環境が悪くなる年があり、このときは産卵数が5以上ではすべて育たず、産卵数が4でも1%しか巣立たないとしよう。この例で、さっきの幾何平均適応度をみると、産卵数3が最適という結果が出る。

 このように変動環境が産卵数を抑えることは、英国オックスフォード大学のグループが1980年代に見いだした、という。実際、シジュウカラは14~15個の卵を育てる能力があるのに卵を八つとか九つくらいしか産まないらしい。どうやら、鳥たちの絶滅回避策は、めったにない災厄を乗り越えるために、なにごともない平時の営みを抑制していることにあるようだ。

 この知恵は、列島の東岸で約1000年に1度の大災害に見舞われ、列島南岸では100~150年周期の巨大地震が想定される日本社会にも欠かせない。「そこそこ」で我慢する。それがどれほど理にかなうかを、今こそ思い知るべきなのかもしれない。

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