文理悠々

五輪のロンドン、懐かしきホームズ

2012年05月04日

ロンドンといえば2階建てバス。下は、最近、本格的に「復活」したと報じられた昔風のタイプ。後ろが開放され、そこから乗り降りできる=2012年3月、ロンドンで沢村亙撮影

 シャーロキアンは学校のクラスに1人はいたように思う。同じ英国発のミステリー好きでもアガサ・クリスティーのファンとはちょっと違って、理系っぽくて「オタク」の度合いが強いという印象があるが、それは偏見だろうか。

 僕自身は、あのホームズが生きた時代の英国の風景に惹かれるものがあって、館(やかた)の窓から漏れる灯火、馬車が行き交う街路といった映像を脳裏に浮かべながら読むのが好きだったが、のめり込むというほどではなかった。

 40歳を過ぎてロンドンに住み始めたころ、地下鉄の乗り換え駅で駅員が「バイカーストリート、バイカーストリート」と連呼するのを聞いて、一瞬何だろうと首をかしげ、すぐに「ベイカーストリート」のことだと気づいた。ロンドンの庶民言葉コクニーでは「エイ」の音が「アイ」になる。そうか、ここがホームズの住むベイカー街なんだ、と感激したが、ホームズを再読しようという気分になるわけでもなかった。

 ところが今回、中古ショップで『シャーロック・ホームズの冒険』(コナン・ドイル著、石田文子訳、角川文庫)を見かけて、急に読みたくなった。五輪間近ということで、ロンドンの話がメディアで飛び交っていることが深層心理を刺激したのかもしれない。ちなみに、この文庫本が出たのは2010年、国内で映画「シャーロック・ホームズ」が封切られた年だった。今年も、その続篇が公開されている。

 この本は、「赤毛連盟」や「まだらのひも」など初期の短編12作品を集めている。選りすぐりと言ってよいだろう。どれもが謎解きのおもしろさをはらんだ物語なので、このブログで1編ごとの筋書きを追うのはもちろん控える。久しぶりに会ったホームズをちょっと斜めから見て、その魅力のありどころを探りたい。ついでに、ホームズが生きた19世紀後半の英国の様相にも触れられれば、と思う。

 ホームズといえば、なんといってもその観察眼の鋭さと推論の鮮やかさだろう。「花婿の正体」では、依頼人が登場したとたんに、それがフル稼働する。部屋からブラインド越しに下の通りを眺めていると、羽根飾りのついた帽子をかぶった大柄な女性が「体を前後に揺らし、手袋のボタンをいじりながら、不安げに、ためらうようなそぶりで」こちらを見上げている。そして、思い切るように急に勢いよく道を渡り、呼び鈴を鳴らした。

 これを見てホームズは、依頼人が抱えているのは恋愛問題、とにらむ。「ここまできてためらっている」様子からそう感じとったのだ。さらに、相手の男性に対して怒っているというより「とまどっているか、悲観しているといったところ」と見てとる。「女性が男性からひどい目に遭っているときは、ためらってなんかいられなくて、たいていは呼鈴のひもがちぎれるくらい強くベルを鳴らす」からだという。

 その女性が部屋に入っていすに座ると、ホームズは「おつらくはないですか」「近眼なのに、かなりたくさんタイプを打っておられるでしょう?」とたたみかけた。彼女が驚いて「わたしのこと、お聞きになっていたんですね?」と聞き返すと、「わたしはいろいろなことを知るのが仕事なんです。ふだんから、ほかの人が見落とすようなことまで見るように意識しているんですよ」と答える。

 女性が引き揚げた後、ワトスンに観察の極意を披瀝して「全体的な印象にとらわれるのはよくない。もっと細部に集中するんだ。ぼくは女性の場合、まず袖口に注目する。男性だとスボンのひざを見たほうがいいだろう」。依頼人の袖の布地には、机にすれた跡とみられる二筋の線が浮かび上がっていた。それで、タイピストと見抜いたわけだ。さらに鼻には、近眼をうかがわせる眼鏡の跡があった。

 「男性だとズボンのひざを……」は別の作品で実践されている。「赤毛連盟」では、店の中から店員を呼び出して道を聞く場面がある。このあと、ワトスンが「きみはあの店員を見るために道をたずねたんだろう?」と問うと、「あの男を見るためじゃない」「ではなんのために?」「やつのズボンのひざを見るためだよ」。ホームズものは、一つの作品に別の作品の話が出てきて楽しいが、それだけでなく作品同士の辻褄も合っている。

 この観察眼は理系由来のものなのだろうか。事実、ホームズには試験管を振る趣味があったようで、「ぶな屋敷」という作品では「徹夜の化学実験に取りかかろうとしているところ」をワトスンに見られている。この短編集が出た1892年はマイケル・ファラデーの『ロウソクの科学』刊行から30年ほどたったころで、英国の人々の間に科学熱が広まっていた。ドイルが医師だったことを考え合わせると、ホームズの理系度は高そうだ。

 推論については、本人がその要諦を語るくだりが「五つのオレンジの種」にある。解剖学者キュビエが1片の骨から動物の全身を描いたという話をしたうえで「互いにつながる出来事のうち、ひとつを完全に理解した観察者は、その前後に連なるすべての出来事も正確にいいあてることができる」「五感の力で解決しようとしてできなかった問題も、書斎で解くことができるかもしれない」。書斎派としての自信にあふれている。

 だが、ホームズ流の推論はちょっと強引すぎるきらいもある。「ボスコム谷の惨劇」では、ワトスンに「ぼくは、きみの寝室の窓は右側にあることがわかる」と言うくだりがある。ここで「右側」とは、鏡に向かってということらしい。

 初夏なので日差しを浴びてひげを剃っているはず、とことわったうえで「きみの剃り方は、顔の左側へいくにつれていいかげんになり、左あごの裏側にいたっては、まったくずさんな仕上がり」ということをもって鏡と窓の配置を決めつけるわけだが、どうだろうか。右手で剃っているのか左手か、といったことも関係してくるように僕には思える。ホームズの推理は、小説だからこそほぼ間違いなく的中するのだろう。

 この「ボスコム谷……」は、ロンドン警視庁の警部レストレイドとのさや当てが見ものの1編だ。警部からは「わたしは事実をつかむだけで精いっぱいでね、ホームズ君。空理空論に飛びつく余裕なんぞない」と皮肉られる。

 ドイルはここで、ホームズの推理は空理ではないぞ、ということを見せつける。証拠を求めて現場周辺を見て回る様子を、こう描写する。「ベイカー街の物静かな思索家や理論家としてのホームズしか知らない者は、これが彼だとはわからないだろう」「うつむきかげんに背中を丸めて、唇をぎゅっと結び、長くひきしまった首にむち縄のような青筋がたっている」

 「独身の貴族」でも、レストレイドは「わたしは体を使って働くことに重きを置いてるんでね」という言葉を吐く。その直後、ホームズは「レストレイドの言い分にも一理ある」と、ワトスンに言い残して街に出る。足で稼ぐライバルにも一目置いているのだ。

 ホームズが活躍した英国はビクトリア女王の時代で、産業革命の果実と植民地支配で繁栄の頂点にあった。科学技術史の文脈でとらえると機械技術全盛のころだった。

 「技師の親指」という作品では、「水力技師」が「標布土」の採掘業者を名乗る人物から「水力圧搾機」の故障原因を調べてほしいと頼まれる。注によれば、標布土とは、吸着しやすい粘土で、布の漂白や羊毛の脱脂などに使われるらしい。圧搾機は、人が中に入れるほど巨大で、ピストンが降りてくると何トンもの重さに匹敵する力で金属床を押しつける。機械油が匂ってくるような1編だ。

 ロンドンの街路には、まだ馬車が走り回っていたが、ホームズはワトスンを電報で呼び出したりしている。技術社会は、クルマと電話の20世紀に向けてまっしぐらだった。

 「エメラルドの宝冠」では、ホームズのもとを訪れた依頼人が「地下鉄でベイカー街(ストリート)の駅まできて……」と語る場面がある。もうロンドンには、地下鉄が走っていたのだ。「バイカー・ストリート」の声が遠くから聞こえてくるような気がした。

シャーロック・ホームズの冒険 (角川文庫)

著者:コナン・ドイル、えすと えむ、石田 文子
出版社:角川書店(角川グループパブリッシング)

表紙画像

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