文理悠々

夜と霧、大人になってからの読み方

2012年08月31日

アウシュヴィッツの第2収容所跡=1998年2月、ポーランド・オシフィエンチム近郊で田中英也撮影

 夜のテレビで1冊の本のことが語られていた。若いころに出会った書物を今読み返すと、胸に響く一文があった。震災被災地で妻を亡くした医師のそんな述懐だった。途中からだったので、文脈は読みとれなかった。だが、話の断片が僕の心を震わせた。今週は、その1冊。『夜と霧 新版』(ヴィクトール・E・フランクル著、池田香代子訳、みすず書房)である。ちなみに、あとでわかった番組名はNHKのEテレ「100分de名著」。

 これは、僕にも忘れられない本だ。と言っても、自分の読書体験からではない。高校生のころ、友人の一人がこの本を見せながら言った。「すごいことが書かれている」。先に読んだぞ、というひけらかしではなかった。ほんの一世代前、人命はとことん軽んじられていた。それは、この本が描く閉鎖世界だけではないだろう。親たちは、そんな罪深い時代をくぐり抜けてきたのだ。そう思って衝撃を受けたようだった。

 そんなこともあって、僕もあのころ、この本を開いたが、最後まで読み通した記憶はない。人間が人間であることを失うさまをのぞき見ることに耐えられなくなった、ということがあったように思う。

 この作品は、言うまでもなくナチス収容所の実話だ。著者は、心理学を修めた精神科医である。原題は邦題と異なり、「心理学者、強制収容所体験を体験する」といった散文調。アウシュヴィッツやほかの収容所の日常が「ごくふつうの被収容者の魂にどのように映ったか」を淡々と綴る。「偉大な英雄や殉教者の苦悩や死は語られない。語られるのは、おびただしい大衆の『小さな』犠牲や『小さな』死だ」と著者は書く。

 人間が人間を失うことは怖い。そして、その「おびただしい大衆の『小さな』犠牲」は、真綿に包まれたかたちで今もあるのではないか。ひと通りの社会生活を通り過ぎてきた60歳超の目でこの本に触れると、そんなふうに思ってしまう。

 たとえば、「わたし」は「119104」という番号の被収容者であり、それ以上でも以下でもなかった、という話。「『心理学者として』強制収容所で働いていたのではない」ことを強調する。医者として働いたのは最後の数週間だけだった。

 被収容者の多くは「かつては『なにほどかの者』だったし、すくなくともそう信じていた」。ところが収容所では「番号」になり、自意識を失い、堕落した。その裏返しで、仲間の監視役に選ばれた被収容者などはゆがんだ優越感に陥りがちだった。

 「番号」の怖さはそれだけではない。こんなことも起こる。別の収容所へ移される被収容者の顔ぶれが、兄弟で一緒にいたいという嘆願を受けて、いともたやすく入れ替えられたことがあったという。被収容者たちは、もはや取り換え可能だった。「わたしたちは全員、身元を証明するものをとっくに失っており、とにかく息をしている有機体のほかには、これが自分だと言えるものはなにひとつない」存在になっていた。

 これは、一見自由を謳歌している今の僕たちと、幾分か重なり合う。その一つは、窓口体験にある。役所であれ、郵便局であれ、銀行であれ、最近はしばしば身分証明を求められるが、運転免許証を見せたとたんに相手は納得する。そんなとき、ふと思う。もし僕でないだれかが、彼の顔写真付きの僕の免許証を手にしていたらどうなるのだろうか。僕でない僕が、僕として存在することにならないか。

 電話でのやりとりやネットの世界でも、暗証番号を聞かれることが多くなった。もし、僕でない僕が当てずっぽうに思い浮かべた番号がたまたま正解だったら、僕でない僕が僕になってしまうのではないか。家族や親戚、近所の人々、昔からの友だちが「君は君だ」と言ってくれる空間がどんどん小さくなってきたように思う。その代わり、身分証明1枚と暗証番号だけが支えの「僕」がいる。

 運命にもてあそばれているという感覚も、人間喪失を引き起こした。被収容者は、自分が「監視兵の気まぐれの対象」で「運命のたわむれの対象」なのだと思うあまり、「主体性をもった人間であるという感覚」を失うのだ。

 アウシュヴィッツに着いた最初の日、「わたしたち」は一人ひとり、親衛隊将校の前に歩み出た。長身でエレガントな将校は「右肘を左手でささえて右手をかかげ、人差し指をごく控え目にほんのわずか――こちらから見て、あるときは左に、またあるときは右に、しかしたいていは左に――動かした」。左は「死の宣告だった」。右の「わたし」には過酷な生活が待ち受けていた。運命のたわむれはここから始まったのだ。

 「収容所最後の日」にも、運命は悪さをした。すでに国際赤十字の管理下にあった収容所に親衛隊のトラックがやって来て、これに乗れば戦争捕虜と引き換えに解放される、と呼びかけた。仲間たちは荷台に群がり、「わたし」はあぶれた。砲声を聞きながら不穏な夜を過ごしたが、朝になるとゲートわきに白旗が掲げられ、すべては終わっていた。一方、仲間たちが運ばれた収容所は火を放たれたのだという。

 「収容所生活では、決断を迫られることがあった。それも、予告もなくやってきて、すぐさま下さねばならない決断であって、それが生死を分けることもしばしばだった」。だから、被収容者は「運命のなすがままになっている」という感覚に身を委ね、自ら物事を決めないで済まそうとする。「運命が決断の重圧を取り払ってくれることが、被収容者にとってもっとも望ましい」からである。

 運命を進んで引き受ける求道者も現れた。数日以内の死を悟った若い女性は、著者にこう言ったという。「運命に感謝しています。だって、わたしをこんなにひどい目にあわせてくれたんですもの」。自分と向き合う機会を授かったというのだ。

 ここで問われるのは、運命のたわむれは必然か偶然か、ということだ。20世紀科学の流れに沿って決定論を疑えば、偶然ということになる。そうならば、偶然が良い方向に転がり続けた人だけが生き残った、と言わざるを得ない。

 僕は、この本を読んで『たまたま――日常に潜む「偶然」を科学する』(レナード・ムロディナウ著、田中三彦訳、ダイヤモンド社)という理系本を思い出した。物事にはばらつきがあり、この世は偶然だらけだと指摘して、それとの賢いつき合い方を伝授する。

 そこにあるのは、今流の軽やかな偶然観だ。著者ムロディナウの父親もナチスの収容所に送られたが、偶然の展開によって生き延びた。自分の生は偶然の上に乗っかっている、というような話が第1章の冒頭に出てくる。

 今も人々は、運命のたわむれにまとわりつかれている。病、事故、失業、もろもろの恐れを感じながら、一瞬、一瞬の選択を迫られている。それは収容所生活のように、いきなり生か死かの分かれ道にはならない。だが、先行きには不確実な未来がある。たぶん、運命にただ身をまかせるのではなく、そのたわむれを自らの動力源として取り込むようなしたたかさが、僕たちの時代には求められているのかもしれない。

 もちろん、『夜と霧』は僕たちの生き方を考える教材ではない。人類最大の愚挙を忘れないための書と言えよう。ただ、運命のたわむれにおののきながらも人間らしく生きようとした人の姿は、読む者の生をも大きく揺さぶる。

 この邦訳本は2002年刊。著者が改訂した1977年の新版を池田さんが今風の柔らかい言葉で訳した。巻末で、旧版の訳者霜山徳爾さんの「『夜と霧』と私」を読めるのもうれしい。著者と霜山さんの深い交流が描かれている。初来日のとき、霜山さんが自家用ルノーで羽田まで出迎え、車内の狭さに恐縮すると「彼は真顔(まがお)でこれたけのスペースがあれば充分だと答えた」。フランクルの人間性が見てとれるようだ。

夜と霧 新版

著者:ヴィクトール・E・フランクル、池田 香代子
出版社:みすず書房

表紙画像

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