したたかに生きる庶民を描く 飯塚容さんが選ぶ本

[掲載]2012年10月28日

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昨年7月に来日したとき、「作家には社会的な責任があると思います」と語っていた

■ノーベル賞の莫言

 莫言(モーイエン)は一九五五年、山東省高密県の農家に生まれた。大躍進政策の失敗から文化大革命にいたる波瀾(はらん)の時代で、疲弊した農村の現実を目のあたりにしながら育つ。莫言少年は何とかこの貧困と飢餓の世界から抜け出したいと願い、人民解放軍に入隊することで、その夢をかなえる。やがて文学創作を始め、解放軍芸術学院に学び、作家としての地歩を固めていった。
 莫言の小説の特色は、中国近現代史を背景にして、苛酷(かこく)な運命に打ちのめされてもなお、したたかに生きる庶民の原始的エネルギーを描くところにある。文体は荒々しく、グロテスクな描写が多い一方、独特のユーモアとアイロニーにも富んでいる。以下、日本語で読める作品をいくつか紹介しよう。
 『蛙鳴(あめい)』は最新の長編小説。中国の作家(莫言とおぼしい)が師と仰ぐ日本の作家(大江健三郎を想起させる)にあてた手紙という体裁で、農村の産婦人科医として生きた伯母の話を語る。そして最後に、同じ内容の物語を演劇に仕立てた脚本を付す。莫言はこの作品で、一人っ子政策の功罪という難しいテーマに切り込んだ。

■文革期を背景に

 『牛 築路』は中編二作を収める。「牛」は文化大革命中の農村が舞台。貧しさゆえに牛の数が増えることを恐れた生産隊長は、人民公社の獣医を呼んで三頭の牛に去勢手術を施す。牛飼いの少年の目を通した描写、動物と人間の身近な交流、輪廻(りんね)転生の死生観などに莫言の創作の特徴がよく出ている。
 「築路」は、貧困と愚かさのために次々と身の破滅を迎えていく道路建設現場の作業員たちを描く。同じく文化大革命期を背景にしているが、莫言が表現したかったのは極限状態における人間の赤裸々な欲望だろう。
 さかのぼって莫言初期の代表作は『赤い高粱(コーリャン)』。張芸謀(チャンイーモウ)監督によって映画化された。抗日戦争中の山東省高密県で情熱的に生きて壮絶な死を遂げた父祖の世代の奇談を、孫に当たる語り手が叙述する。日本軍の蛮行が衝撃的だが、莫言の主張は現代人が失ってしまった野性の讃美(さんび)にこそあった。しばしば指摘されるガルシア=マルケスの影響が顕著に見られる。
 『白檀(びゃくだん)の刑』(吉田富夫訳、中公文庫・上下各1150円)は、時代設定が清末。鉄道敷設権を得て山東を侵略したドイツ軍に抵抗し逮捕された男と、その処刑を担当する首切り役人をめぐる物語。主要な人物が章ごとに交代で語り手となる構成や山東省の地方劇を応用した歌唱の挿入に特色がある。

■重版もあいつぐ

 長らく品切れとなっていた二作も重版が決まった。やはり高密県シリーズの『豊乳肥臀(ひでん)』(吉田富夫訳、平凡社・上下各2100円)は、母親を崇拝し乳房に執着する末っ子と八人の姉たちの家族史。中国で刊行されたときには性描写が問題となり、発禁処分を受けた。作中に登場する北海道に強制連行される男は、実在の劉連仁(リュウリェンレン)をモデルにしている。
 『酒国 特捜検事丁鈎児(ジャック)の冒険』(藤井省三訳、岩波書店・3360円)は莫言の都会物の代表作。探偵小説のパロディーという形式で、快楽に耽(ふけ)る幹部の腐敗を描いていた。
 海外から発信する高行健(ガオシンジェン)(フランス在住)の受賞から十二年、国内から発信する莫言の作品もこの機会に新たな読者を得て、中国語による文学創作の魅力が再認識されることを願いたい。

 ◇いいづか・ゆとり 中央大学教授(中国文学) 54年生まれ。訳書に高行健『霊山』、鉄凝(ティエニン)『大浴女』など。

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