ひかわ玲子(作家) 父から娘へ 継がれたSF魂

2013年01月09日

 わたしとSFとの遭遇は、わたしの幼年期まで遡る。
 わたしの父はSFファンだった──と言っても、今ならばそれも普通にあることだろうけれど、父は昭和2年生まれ、今は遙か昔のことになってしまった「戦争」の終戦は、14歳の時だった。その父が、まだ幼かったわたしに、一枚の紙を見せてくれた。
 それは、火星の土地の権利書、というものだった。
「これで、パパは火星に移民したら、そこに大きな家を買えるんだぞ」
 冗談めかして笑って、父はそう言った。
 ふうん、と思って、その紙を見たものの、幾ら子供だって、まだ月にも到達してないのに、火星の土地の権利書なんて嘘に決まっている、というのはわかっていた。そう……その時には、まだ、人類は月に到達していなかった。
 そんな父は、SFマガジンの創刊号も持っていたし、さらに「宇宙塵」という同人誌も持っていた。父は、なんと星新一氏と同期で「宇宙塵」の同人になったのだが、創作はしなかったので、すぐに辞めてしまったのだそうだ。でも、その古い「宇宙塵」を見せてくれたし、やがて、星新一先生や小松左京先生の本を耽読(たんどく)するようになると、そのことはわたしのひそかな自慢となった。もっとも──中学から女子校育ちのわたしには、そのことを自慢する相手がいなかったけれど。
 わたしが10代の頃、わたしの周囲には女の子でSFを読む子は、ほとんどいなかった。
 けれど、我が家には当時、SFマガジンがずらりと本棚に並んでいて、わたしはそれを片端から読んで行っていたから、たぶん、今のわたしがSFファンであるのは、その呪われた環境のせいだったのだと思う。SFファンとしては孤独だったけれど、SFマガジンに連載される「継ぐのは誰か」や「日本以外全部沈没」やら、「シャンブロウ」やら「ドリーミングシティ」やら、鮮烈にデビューした鈴木いづみさんの作品やら──ああ、あの頃にわたしにとって、SFマガジンは本当になんてすごい宝箱だったことだろう。もっとも、あの時代がなければ、わたしはもう少し、違う、文学少女に育っていたかもしれない、と思わないでもない。そんなふうに、わたしにとって、SFとは運命だった。
 高校生になるやならずで、わたしはトールキンの「指輪物語」に出会った。それまでも、SFの中でもファンタジー色が強いもの、ロジャー・ゼラズニィやらフィリップ・ホセ・ファーマーやら、日本の作家ではなんといっても山尾悠子さんなどに惹(ひ)かれていたわたしは、その日、唐突に、わたしの魂が求めているものはファンタジーだ、ということに気がついた。それから、意識的にわたしの創作の道はファンタジーに向いて行ったが、それでももちろん、わたしはSFファンでありつづけて、「竜の卵」や「カエアンの聖衣」やラリー・ニーヴンを読み続けた。わたしとSFは、そんなふうに今日も続いている。
 SFファンであり、SFマガジンの愛読者であったわたしにとっては、ずっと日本SF作家クラブは憧れの会であり続けていた。わたしはファンタジー小説で作家としてデビューし、作家クラブに推薦していただき、クラブ員となった。本当に嬉しかったのだが──ある時、SF作家クラブは、プロパーなSFを書く作家の会である、ということで、ファンタジー系の作家が入会するのはいかがなものか、という話になったことがあり。わたしは大いに動揺した。もっとも、その時のことがきっかけとなり、SFは、ファンタジーと不可分なジャンルであり、SF作家クラブはファンタジー作家も受け入れるべきだ、ということになり、SF作家クラブは、Science Fiction & Fantasy Writers Of Japanと名称が改められた。ちなみに、アメリカのSF作家クラブも、同様の名称になっている。おそらく、わたしがSF作家クラブに在籍してから起こった、わたしにとっては一番大きな出来事だろう。
 わたしにとって、もっとも興味があるScienceは、今は実学であるTechnologyではなく、Social Scienceだろう、と思う。ファンタジーの世界は、その実験場としてとても適している。
 そんなふうにして、わたしの人生は今もSFと結ばれている。もう人生も半ばを過ぎているのかもしれないけれど、わたしの魂がこの世界から飛び去る時まで、わたしはSFファンでいつづけると思うし、そんな小説を書き続けるのだろうと感じている。
    ◇
 ひかわ・れいこ 1958年、東京生まれ。翻訳者などを経て 『バセット英雄伝 エルヴァーズ』でデビュー。著書は『女戦士エフェラ&ジリオラ』『三剣物語』『帝国の双美姫』『流星のレクイエム』など多数。新刊に『くるみ割り人形・白鳥の湖』(集英社未来文庫)がある。

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