わたしとSF

杉山俊彦(SF作家) 特上の驚きを用意します

2013年03月13日

杉山俊彦さん

 驚くことは善ではありません。悪でもありません。面白いかどうかの次元です。心臓麻痺(まひ)を起こすほどにびっくりしてはさすがにつまらないとしても、たいていの驚愕(きょうがく)は面白いものです。世の中は不幸なニュースであふれていて、不幸であればあるほど、耳を疑います。世間を震撼(しんかん)させます。みんな目を凝らして注視します。面白いからです。不幸な話なのに退屈を覚えるのであれば、その人は壊れています。
 肝をつぶしたいだけなら、遊園地に行ってお化け屋敷に入ればいい。それだけでは物足りない、知的好奇心も満たしたい、そういう人向けなのがSFです。SFは驚かせます。知性も波立たせます。得意分野です。
 でも、SFに元気がありません。SF高度成長期はとうの昔に終わり、長いデフレがつづいている模様です。たいがいのことは言い尽くしてしまったのが原因ではないでしょうか。元気がないといっても死んだわけではないので、細々と生きていけばそれでいい……。
 しかしですよ、僕は先日たまげてしまったのであります。オースン・スコット・カードの『消えた少年たち』。ミステリーを思わせるタイトル。文庫で上下巻。科学畑の話題が全然出て来ないのは気にしないとして、そんなことより上巻で子供たちがまったく消えないことに絶句。日常生活のいざこざが延々と書いてあるだけ。この小説何なの、タイトル完全無視なのかと思いつつ読み続けると、下巻の中盤でやっと消える。そこからは仰天の展開。お化け屋敷に入ったら、お化け役の従業員が会社への愚痴を話しだして、何だよこいつらと睨(にら)みつけたら、足がなかった感じ。
 小説の結末を知ってさらに衝撃。だって子供たちが消えるまでの日常生活は、前置きとして書かれているわけですが、ちゃんと機能しているにもかかわらず、それがなくても成立するんですよ。結末と直接のつながりがない話ばっかりなんですから。それを結末に強引につなげる。ダラダラした日常の愚痴なんてエンタメ性だけ考えるなら邪魔と言える。でも、あったほうがいい。なぜか。そこにはポジティヴな知性が存在するんです。衒学(げんがく)的な知性ではなく、人生に対してのポジティヴな知性。そして、かなり強引。やっぱりこれはSFなんじゃないかな。
 知性、強引、ポジティヴ、これがSF3要素だと思うんです。知的たることは訓練を要するし、ポジティヴ性も精神力が必要。強引な展開は……やろうと思えばできる。肉食系男子のごとく読者を驚かせてみたいものです。
    ◇
 すぎやま・としひこ 1977年東京都生まれ。大学出てからゴロ寝したあと『競馬の終わり』で第十回日本SF新人賞受賞。ほかの著作に『終わりは嫌だ』。

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