わたしとSF

タタツシンイチ(SF作家) 岡山の「地底旅行」

2013年06月05日

タタツシンイチさん

 小学生の頃、夏休みになると、岡山にある母方の実家へ帰省していた。ニュータウンの団地で育った僕にとって、田舎で目にするものは何もかもが珍しく――ちょっぴり、恐ろしくもあった。
 舗装されていない、砂利敷きの道路。物置に縁側にくみ取り便所。薪を燃やして沸かす風呂。古い井戸のついた土間。田んぼに沿った溝の中を跳ねまわる、小さな翡翠(ひすい)色のカエルたち……幼い僕にとって、田舎の光景は全てが「過去」だった。高度成長期、「理想の未来」そのものとして造られたニュータウンにはあり得ない、膨大な「過去」の風景。……薄暗いくみ取り便所に怖々とまたがるとき、自分がまるでタイムマシンで過去を訪れた時間旅行者になったような、孤独と恐怖を感じていたことを今でも思い出せる。
 田舎で過ごす日々は楽しかったが、退屈でもあった。同年代の遊び仲間がいない。テレビの放映スケジュールも違っていて、大好きなウルトラマンも仮面ライダーも見られない。幼い時間旅行者は、無聊(ぶりょう)をかこつ余り、広い家のあちこちを探索して回る――そこで、一冊の古い本を発見したのだ。
 『地底旅行』――言わずと知れた、J・ヴェルヌの名作である。恐らくは、叔父が子供の頃に読んだものであったろうその古い本を、僕は何度も読んだ。縁側に腹ばって、幾度も幾度も読み返した。少し古めかしい文章や挿画が、とても新鮮だった。いかにも「昔っぽい」その話が、ウルトラやライダーにも似たときめきを与えてくれることが、なぜか嬉しく、誇らしく感じられた。
 その後、図書館などでヴェルヌの本は幾冊か読んだはずだが、『地底旅行』だけは、岡山の田舎で読んだ、あの古本の想い出しかない――どうやら僕にとっての『地底旅行』は、田舎の縁側と一続きのものになってしまっているらしい。
 
 「シンちゃんは、本が好きやなあ」――優しい叔父が、背後で笑って言う。祖母のむいてくれた桃を食べながらも、幼い時間旅行者は縁側に腹ばったまま、古本から目を離さない。
 「SF」というときめきは「未来」のみを意味しない。膨大で芳醇(ほうじゅん)な「過去」の中にも、その夢は……。
 
 あの本は――『地底旅行』はまだ、岡山の田舎にあるだろうか。
    ◇
 たたつ・しんいち 1965年、大阪府生まれ。05年『マーダー・アイアン 絶対鋼鉄』にて日本SF新人賞を受賞。新刊にゲームノベライズ『戦国BASARA3 長曾我部元親の章』がある。

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