わたしとSF

YOUCHAN(イラストレーター) ちょっとずれた世界を味わう

2013年05月15日

YOUCHAN

 子供の頃からわたしが好きな物語は、宇宙に行ったり、ヒーローやヒロインが登場するものとは少し違っていた。ジャンル分けしづらい「境界SF」などと呼ばれる作品群があることを知ったのは、ずっとあとのことだった。だから長い間、わたしは自分の好きなSFがよくわからないでいた。わかっていたのは、ヴォネガットの『スローターハウス5』が大好きであること、そしてSFであるということくらいだった。
 わたしの好きな作品は、不条理なものが多い。
 主人公は理解不能な状況下に置かれても、それに抗うこともなく、淡々とやり過ごす。ときに戸惑いもするが「そういうものだ」と受け入れる。日常を営むことの愛おしさを、作品の中に見出すとき、わたしはほろりとしてしまうのだ。例えるなら、内田百間の『冥途』もそうだし、北野勇作の『かめくん』もそうだろう。
  そんな嗜好の下地を作ったのは、思いがけないところにあった。
 子供の時、TVアニメの『ムーミン』が大好きだった。異様に感じる怖い世界観の虜であった。どのお話だったかは全然思い出せないが、ムーミンが鏡に映った自分に手を掴まれ、鏡の世界に引き入れられてしまう描写には特に耽溺した。怖がりながらも何度も脳内で反芻し、閉じかけた三面鏡の中に潜り込んでは、無限に続く合わせ鏡の反射をいつまでも眺め過ごしていた。
 そして、これは、後年おとなになってから――それこそ、21世紀になってから、ジーン・ウルフの『デス博士の島その他の物語』を読んで自覚したのだが、わたしはこうした「ここではない場所」を描いたSFが好きなようだ。そして、そのルーツに『ムーミン』がなかっただろうか、と。
 10代の頃は、とにかく夢野久作にはまった。『ドグラ・マグラ』のラストの凄惨なシーンに強く惹かれたが、それ以上に衝撃を受けたのは、終わりのない終わりであった。終わりは冒頭に繋がって、「わたし」に終わりが訪れることはない。これこそ、合わせ鏡の永遠の連続性ではなかったか……。そして、主人公の「わたし」は常に問いかける。わたしとは何者なのか、どこから来たのだろうか……。普通なら、物語の前提条件である事柄が、ここでは一切が不明だ。後年、トマス・M・ディッシュの「リスの檻」(『アジアの岸辺』所収)を読んだときにふと気がついた。タイプライターだけが置かれた、脱出不可能な部屋に閉じ込められたこの男の物語は、どこか『ドグラ・マグラ』と共通していないだろうか……。
 こうした小さな出会いを繰り返すうち、わたしはちょっと位相のずれた世界、奇妙な味わいの物語が好きなことにようやく気がつくようになった。読書の旅は、じっくりゆっくりが楽しい。読み終えたあと、しばらく脳内で反芻することも多い。心躍る冒険も、ハラハラドキドキのドラマも確かに楽しい。けれども、わたしにとってSFは、じっくり味わうものだ。難解であっても構わない。わからなければ、もう一度読めばいい。きっとまた、発見がある。
 SFは本当に裾野が広い。この楽しさが、もっと知られるといいのになぁと思う。宇宙に出かけなくても、未来に行かくても、心奪われる世界がまだまだある。あなたが読む物語は、そっちではなく、こっちなのかもしれないのだ。
    ◇
 ゆーちゃん 1968年、愛知県生まれ。日本SF作家クラブ50周年記念ロゴマークのほか「SFブックミュージアム」(MARUZEN & ジュンク堂書店)や、企画展「日本SF作家クラブと手塚治虫」(宝塚市立手塚治虫記念館)のメインビジュアルを手がける。編著(共著)に『現代作家ガイド6 カート・ヴォネガット』(彩流社)、装画に『予期せぬ結末 1 ミッドナイト・ブルー』(ジョン・コリア著/扶桑社)など。

関連記事

ページトップへ戻る