わたしとSF

井上雅彦(小説家、アンソロジスト) わたしの黎明期

2013年06月19日

井上雅彦さん=撮影・井口理恵氏

 《プリニウスの時代》などと気取った名前をつけてみたりするのだけれど、誰にでも、そんな時代があったはずなのだ。かのプリニウスと同じ目で――アフリカ大陸の動物たちを見て様々な空想怪物を創りあげた、あの古代ギリシャの博物学者と同じ目で――世界を見ていた、そんな時代が。
 それが、私じしんの黎明(れいめい)期。
 この当時、嬉々として創った《動物図鑑》をもう一度、見てみたい、とつくづく思う。想像で描いた象や犀(さい)、オランウータンをもう一度、見てみたい。ウルトラ怪獣に出会うよりも前のことだ。公開されたばかりの動物記録映画のプログラムを親戚の家で見たことで触発されたのだろう。一度ちらりと写真を見ただけで、残りは空想力で補いながら、私は動物たちの姿を描いた。半紙にクレヨンで描いたものだ。プリニウスの図鑑にも劣らぬこの空想動物図鑑は、半紙を左右半分に折って「製本」した。幼稚園に入る前だったが、当時からプロ志向だったようだ。名前を記入するため、カタカナはすでにマスターしていた(「オ」というカタカナを最初に憶えた。東京オリンピック開催準備の頃だったからである)が、この頃、「動物」という漢字も憶えたのだった。「怪獣」「妖怪」という漢字を憶えるのも、もう時間の問題だった。
 天体や宇宙、人工衛星やロケットの図鑑も作った。世は宇宙時代だった。カバヤだったかフルヤだったかのキャラメルのおまけに、有人宇宙船を描いた外国切手(本物)が入っていて、これは、半紙に貼りつけた。
 しかし、異形の乗り物といえば、すぐ近くで本物を見あげることができた。当時、住んでいた文京区の新大塚から買い出しに行く親についていって、国電の大塚駅の高架線を走る貨物列車を夢中で眺めたものだ。(のちに「スターウォーズ」を初めて観た時、赤茶けて汚れた宇宙艇に、貨物列車の燦めきが――ほんの少しだけ――甦った)。
 異形の友人たちと出会うのも、それほど時間はかからなかった。新聞広告に載ったゴジラ、モスラ、キングギドラ、地底怪獣バラゴン……。「少年画報」や「少年キング」のグラビアに映っていたブロントザウルス、外国映画の狼男、昆虫人間ミュータント。近所にある講談社の下請けから流出した『少年マガジン』の〈刷り出し〉に載っていた『ウルトラQ』の予告特集……。
 幼稚園にあがる頃には、怪獣ドラマの「特撮」の仕組みを理解し、遊戯室で友人と話し合ったりしたものだ。誰もが、フィクションとしての「怪獣」を愉(たの)しんでいた。スーツアクターの覗(のぞ)き穴のことも知っていた。大蜘蛛タランチュラの長い脚を動かすピアノ線の操演のことも知っていた。
 それでも……夜になると怖くなる。木の雨戸を開けたら、タランチュラがいるかもしれない。曇りガラスの向こうに狼男がいるかもしれない。壁を突き破って、フランケンシュタイン(の怪物)が飛び出すかもしれない……。
 「吸血鬼ドラキュラ」をテレビで観たのは、小学校にあがってからだったろう。吸血鬼を倒すためにやってきた科学者(ピーター・カッシング演じるヴァン・ヘルシング教授)の立ち振る舞いに憧れた。その頃から、科学系の本も読むようになった。医者になりたい、科学者になりたい、などと思ったのはこの頃だったかも知れない。しかし、同時に母の化粧箱をこっそり開けて、口紅を取りだし、犠牲者の血で顎(あご)を紅く染めた吸血鬼(クリストファー・リー演じるドラキュラ伯爵)のメークを真似してみたりもした。それでも……夜になると怖くなる……。
 昼は好んで怖い話を読んだ。そして、夜になると怖くなる。貸本屋でうっかり読んでしまった、その話も怖かった。霧深い夜、硝子(がらす)窓越しに現れる男の話。男は、声も出さず、自分と隔てている硝子に向かって、指を突き出してみせるのだ……。
 昼間読んだ時は怖くなかった。男は、自分の星で呼吸できる大気の元素について、その電子の数を教えようとしていただけなのだから。イワン・エフレーモフのSF「宇宙翔けるもの」。ファースト・コンタクトものの傑作だという。これが、他の怪奇小説と違うことは、よくわかっていた。しかし……夜になると怖くなる……。窓硝子の向こうに、あの男が立っていたとしたら……。
 それでも、黎明(よあけ)になるころには、恐怖は、歓びに変わっている。
 恐怖は、自分の血になっている。
 幼稚園に入る前の《プリニウスの時代》から、五十年経った今まで、ずっとそれは変わっていない。
 あの頃から、黎明が好きだった。
 黎明には、地球の音が聞こえる。
 それは、なにか面白いことがはじまる予感のように思われた……。
 寝室のある二階の窓を開けると、甍の群れの彼方に、池袋の街も、そして、反対側には自分が生まれた西新宿の方角までも見渡すことができた。
 ちょうど、その時代(ころ)だったのではないかと思う。
 西新宿で、自分の愛する分野を確立させようとする作家たちが結集し、「日本SF」の黎明を誓いあったのは。
       ◇
 いのうえ・まさひこ 1960年、東京都新宿区生まれ。1983年「よけいなものが」で星新一ショートショートコンテスト優秀作を受賞しデビュー。代表作に『異形博覧会』『燦めく闇』『四角い魔術師』など幻想短篇集多数。1998年、自ら企画したオリジナル・アンソロジー《異形コレクション》で日本SF大賞特別賞を受賞。

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