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やなせたかしさん 魚住昭さんが選ぶ本

2013年12月01日

やなせたかしさん。10月、94歳で亡くなった。

■孤独が生んだアンパンマン

 十余年前、妻が夜勤のとき、私が保育園児の息子2人に夕食を食べさせ、寝かしつけなければならなかった。その際、アンパンマンのビデオにどれだけ助けられたことか。慌ただしい子育ての日々を乗り切れたのはアンパンマンのおかげだった。
 やなせたかしの訃報(ふほう)を聞いて彼の著作を読みあさった。結論から言うならやなせは孤独に苛(さいな)まれつづけた人だ。しかし、その孤独なくしてアンパンマンは生まれなかっただろう。
 やなせの人生と思想を知るうえで最適の書は『アンパンマンの遺書』である。これを読むと彼がどれほどの苦難を乗り越えてきたか、よくわかる。
 戦前、5歳で父親と死別。7歳のとき母親は再婚して家を出た。やなせと弟は高知県南国市の伯父のもとで育てられた。
 ハンサムで快活な弟は皆に愛された。だが、不器量なやなせは「暗くてシャイな性格に」なり、取(と)り柄(え)は絵を描くことが大好きなことぐらいだった。
 日中戦争で徴兵され、飢えに苦しみつつ中国大陸を1千キロ行軍した。弟はフィリピン沖で戦死した。遺骨はなく、骨壺(こつつぼ)に一片の木片が入っていた。

■「正義」とは何か
 戦後、漫画家になったやなせは番組構成から舞台美術まで何でもこなす器用さが災いし「四十歳を越えてもまだ自分の方向がまったくわから」なかった。「友はみんなひと花咲かせて、はるかに遠くを走っていた」「漫画家としては絶望だと思った」
 当時の彼の心象風景は『ユリイカ』のやなせ特集に掲載された昔のイラストに描かれている。絵柄からにじみ出る哀(かな)しみに胸を衝(つ)かれる思いがする。
 その哀しみの中からアンパンマンは誕生した。物語の根底にあるのは彼の孤独な生い立ちと飢えに苦しんだ戦争体験だ。
 少年時代、「なんのために生まれて なにをして生きるのか」(アンパンマンのマーチ)と彼は自問を繰り返した。
 戦争中に教え込まれた「聖戦」は、敗戦を境に「悪魔」の所業に逆転した。正義はある日突然逆転する。では、逆転しない正義とは何か。自分を犠牲にしても目の前の飢えた人に一片のパンを差し出すことである。
 アンパンマンは当初大人たちから「顔を食べさせるのは残酷だ」とひんしゅくを買った。だが、描きつづけるうちに3〜5歳児の間で人気が広がった。
 その後の事情は『絶望の隣は希望です!』に詳しく書かれてある。出版社から「読者は小さな子供だからレベルをうんと下げて」と言われてもやなせは肯(がえ)んじなかった。アンパンマンを描くうちに幼児たちの恐ろしさが見えてきたからだ。
 彼らは「真っすぐな目」を持ち、「気に入らない本は放り投げる。冷酷な批評家」だ。やなせは自分のメッセージを子供たちに真剣に伝えることにした。
 「正義とは何か。傷つくことなしに正義は行えない」

■太陽のような力
 アニメ化でアンパンマン人気に火がついた1988年秋、彼を支えてきた夫人が乳がんに冒されていることがわかり、5年後に亡くなった。やなせは仕事にかまけて夫人の不調に気づかなかった自分を責めつづけた。
 父、母、弟、そして妻。別離の悲しみに押し潰されそうになりながら、それを乗り越えて愛と勇気の物語は綴(つづ)られた。
 震災後、ラジオ局には「アンパンマンのマーチ」のリクエストが殺到した。アンパンマンには太陽のような力がある。これからもその輝きが失せることはないに違いない。
    ◇
 うおずみ・あきら ジャーナリスト 51年生まれ。『冤罪(えんざい)法廷』など。

アンパンマンの遺書 (岩波現代文庫)

著者:やなせ たかし
出版社:岩波書店

表紙画像

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