文理悠々

漱石の硝子戸、リベラルの原点

2014年01月06日

夏目漱石(1867~1916)

 ことしの年明けはいつになく静かに過ごした、という人が多いのではないか。「三が日」が週末につながるというカレンダーの妙で、勤めのある人は年始も長く職域から離れていられたからだ。去年夏に退社して脱カイシャ1年生の僕にしてみれば、休日がどう連なろうと大勢に影響はないのだが、それでも仕事始めのニュースをなかなか目にしないという穏やかさを分かち合うことができた。

 当コラムは、このところ新春は夏目漱石と決めてきた。いくぶんほろ酔い気分で、いくぶん居ずまいを正す気持ちにもなっている正月休みは、なぜか漱石本を手にとりたくなる。本を読む時間がたっぷりあった今年は、なおさらその感を強くした。

 去年は、アベノミクスや2020年の東京五輪決定でバブル期以来の浮かれた世相が再来した。だが、原発事故の汚染水は増すばかり。押し詰まってからは「秘密」「厳罰」という言葉とともに重たい空気が漂った。東アジアには不穏な動きもある。年が明けてすべてがリセットされるわけではないのだから、「おめでとう」とばかりは言っていられない。浮かれてなんぞいられないのである。

 こんなときこそ、漱石本である。そこには、僕たちが立ち返るべき良質な思考様式があるように思えるからだ。日本にあって明治以後に強く自覚された近代の自我である。

 このところ、戦後日本を生きる僕たちが身につけてきたものが次々に引きはがされようとしている。安倍晋三首相は「戦後レジームからの脱却」を提唱した人だ。それに同調するかのような物言いは近年、野党陣営のなかにも広まった。戦後民主主義の精神はもはや風前の灯のように見える。だが、それをはぎとられてもなお残るものが僕たちにはある。近代の自我こそはリベラリズムの原点と言えよう。

 この欄で、おととしとりあげた漱石の長編『門』からは、そんな自我がはっきりと見てとれた。とりわけ印象深いのが、主人公の宗助と妻御米の夫婦のありようだ。寄り添いながらも「彼等は余り多く過去を語らなかった」。妻の自我がきちんと存在している。

 そんな漱石の「近代」が、虚構ではなく実生活の記述で露わになったのが『硝子戸の中(うち)』(夏目漱石著、新潮文庫)だ。1915(大正4)年1月~2月に朝日新聞に連載された。「去年の暮から風邪を引いて殆んど表へ出ず」「ただ坐ったり寐(ね)たりして」年を越した著者の思いが身辺の出来事を踏まえて綴られている。没年が翌年なので、漱石にとって「最後のまとまった随筆となった」(石原千秋による巻末解説)。

 そもそも表題の「硝子戸」という言葉が近代の暗喩だ。そこには開け放しでもなく、障子に閉ざされてもいない内と外との関係性がある。「小さい私と広い世の中とを隔離しているこの硝子戸の中(なか)へ、時々人が入って来る。それが又私に取っては思い掛けない人で、私の思い掛けない事を云ったり為(し)たりする」――硝子戸のガラスは個人と社会が相互作用を交わす膜になっている。

 相互作用の一つは、有名人だからこそ見舞われるファンの「追っかけ」だ。近所に住む「女」が紹介状もなく、直接アポをとって押しかけてくる。「女は私の書いたものを大抵読んでいるらしかった」

 「女」は何度か訪ねるうちに「自分のこれまで経過して来た悲しい歴史を書いてくれないか」と切り出した。だが、その身の上話をなかなか始めない。ようやくある晩、「この間は昂奮(こうふん)して私の事を書いて頂きたいように申し上げましたが、それは止めに致します。ただ先生に聞いて頂くだけにして置きますから、どうかその御積(おつもり)で……」。随分と勝手な人ではある。

 ここで「私」の対応はなんとも近代的だ。「その御積で」と釘を刺されたら「あなたの許諾を得ない以上は、たといどんなに書きたい事柄が出て来ても決して書く気遣はありません」。今につながるプライバシー感覚である。

 その話をするとき、「女は多く眼を伏せて火鉢の中ばかり眺めていた。そうして綺麗な指で、真鍮の火箸を握っては、灰の中へ突き刺した」「やがて女の頬は熱(ほて)って赤くなった。白粉(おしろい)をつけていない所為(せい)か、その熱った頬の色が著るしく私の眼に着いた」。危うさを漂わせながらも、やりとりは実務的だ。「私は女に向って短かい質問を掛け」「女は単簡(たんかん)に又私の納得出来るように答をした」

 「女」は「悲痛を極めた」告白を終えると、もし「私」が小説を書くとしたら「その女の始末をどうなさいますか」と問う。「死ぬ方が宜(い)いと御思いになりますか。それとも生きているように御書きになりますか」。これに対して「私」がどっちつかずの返答をすると、女は「私は今持っているこの美しい心持が、時間というものの為に段々薄れて行くのが怖くって堪らない」と切羽詰まった心情を吐露する。

 このあと午後11時、夜道をひとり帰る女に「私」は付き添う。「先生に送って頂いては勿体(もったい)のう御座います」「勿体ない訳がありません。同じ人間です」。これは、騎士道精神というよりも平等意識の宣明だろう。そして「先生に送って頂くのは光栄」と改めて恐縮する女に「そんなら死なずに生きていらっしゃい」。女が投げかけた問いに対して、最後の最後で答えを言うのだ。

 「公平な『時』は大事な宝物を彼女の手から奪う代りに、その傷口も次第に療治してくれる」。だから「深い恋愛に根ざしている熱烈な記憶を取り上げても、彼女の創口から滴(したた)る血潮を『時』に拭わしめようとした」のである。

 このころ、漱石には「不愉快に充ちた人生をとぼとぼ辿(たど)りつつある」という自己イメージがあり、「何時か一度到着しなければならない死」に思いを巡らせて「死は生よりも尊(たっ)とい」という言葉が「胸を去来する」状況にあった。それにもかかわらず、「私の他(ひと)に与える助言(じょごん)はどうしてもこの生の許す範囲内に於てしなければ済まない」という強い思いに突き動かされたのだった。

 これは「生の中に活動する自分を認め、又その生の中に呼吸する他人を認める以上は、互の根本義は如何(いか)に苦しくても如何に醜くてもこの生の上に置かれたものと解釈するのが当り前」という思考の帰結だった。ここには、自己と他者を別個の自我として分けながら、それらが一つの世界を共有するとみる近代的な世界観がある。そして、世界を共有するならば自己は他者の生を重んじるべきだという今日的な倫理観もある。

 漱石は、これと同様の考え方を、医師が「安らかな眠に赴むこうとする病人に、わざと注射の針を立てて、患者の苦痛を一刻でも延ばす工夫を凝らしている」ことにみてとる。延命第一のモダニズム医療だ。ポストモダンの今、末期医療のあり方や尊厳死の是非が論じられ、ただただやみくもに延命を追い求める医療は見直されつつあるが、それでも医師の最優先事項に患者の「生」があることに変わりはない。

 見ず知らずの女がやってきて夜更けまで悩みを語る。それは、ただの恋バナシではなく“to be or not to be”という問いをはらんでいる。「人々が生まれた土地を離れて都市へと吸収されていく近代という時代では、都会で見知らぬ他者と出会い『談話』することが、人々の日常となった」と巻末解説が言うように、血縁地縁と切り離された自己と他者のかかわり合いがそこにある。ネット時代の今、そんな関係はますます広まっている。

 「国家」という言葉ばかりが引き続き飛び交いそうな2014年、見失ってはならないのは個々の「自我」だと、硝子戸の中で漱石がつぶやいているように僕には思える。

 最終段落。家族が出払って「家も心もひっそりとしたうちに、私は硝子戸を開け放って、静かな春の光に包まれながら、恍惚(うっとり)とこの稿を書き終わる」。孤独でありながら穏やかで明るいこの心境こそ、新春に読みたくなる漱石の真骨頂ではないか。
(No.194おわり)

悠々広場
☆尾関章から~まゆみ たかぎさんの問いかけをご紹介
 あけまして、おめでとうございます。
 さて、年末12月24日付当欄の「『紅白』改造計画を練ろう」に、カナダ在住のまゆみ たかぎさんからメッセージをいただきました。
 まゆみさんは紅白談議を2020年の東京五輪開会式につなげて、問題を提起しておられます。
 《k.d.Langは‘Hallelujah’をOlympic Game 2010のOpening Ceremonyにて見事に歌い切りました》。ここで"Olympic Game 2010"はバンクーバー冬季五輪。"k.d.Lang"は、ゲイやHIVの問題などで社会的な発信をしているカナダの女性歌手です。
 まゆみさんは《彼女を抜擢したCanadaのliberalism》に目を向け、《Harper政権にありながらまだカナダは見込みがあると思う》と書いて、《さてどのような歌手が日本代表になるのか》と問うていらっしゃいます。
 ハーパー政権は保守政権、でもカナダ社会にはリベラリズムがしっかり根を張っているらしい。
 さて、日本はどうなんでしょうか。
 年の初めに考えてみたい問題です。

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