文理悠々

ゾルゲが嗤う秘密保護法の愚

2014年01月14日

特定秘密法案に講義するデモ参加者=2013年12月5日、東京・永田町、福留庸友撮影

 届いた年賀状に「『唇寒し』の世が心配」「世の行末が気がかり」という言葉があった。いずれも、新聞記者時代の先輩から送られてきたものだ。師走に一気に露わになった現政権の体質は、戦後民主主義の息吹を浴びて育ってきた世代に絶望にも似た不安を呼び起こしている。とりわけ重たい気分にさせるのが、与党が採決を急いで成立させた「特定秘密保護法」である。

 僕は昨秋、言論サイトWEBRONZAで「秘密保護法案、『情報』をモノとみる愚」(10月8日付)を書き、この悠々コラムでも「戦前落語で知る秘密保護法の愚」(11月25日付)をアップした。前者では理屈を言い、後者では心情を綴った。

 「戦前落語で知る……」で指摘したのは、保護法第12条にある「特定秘密の取扱者」の「適性評価」がはらむ危うさだ。たとえば、評価に際しての調査項目に「精神疾患」が含まれている。もちろん、人事権者が重大な任務を部下に課すときに当人の健康状態を吟味することはあってよい。だが、精神の病全般を法律にまでとりあげて別扱いするというところに、僕は排除の論理を感じてしまう。

 1970年代に職に就いた僕ら世代の新聞記者は駆け出し時代から、こうした排除は断固として許さないという決意を心にとめてきた。「精神疾患」について言えば、うつに悩む人が身の回りにふえている現状からみて、そうした人権感覚がいっそう強まっていてもよいはずなのに、無頓着に条文に入ってしまう。しかも、今回の法案をめぐる最終盤の攻防でも、このあたりの議論はほとんど聞かれなかった。

 修正要求が高まったときに、もっとも強く叫ばれたのは「情報公開」という、どちらかと言えば新種の権利だった。国の機密保持は大切だが、それと引き換えに情報開示の促進も不可欠、という考え方だ。その一方で、戦後社会に根づいていたはずの在来の人権が忘れられてはいないか、そのことに若い世代は気づいていないのではないか――先輩世代が賀状にしたためた不安の背景には、そんないらだちがあるように思えてならない。

 僕も同様の思いを抱きつつ、世代が交代していくとはこんなことなのかな、というあきらめもある。そこで今回は、若い世代に寄り添いながら、機密保持の必要を認めたうえで、この法律でほんとうに機密は守られるのかということを考えてみたい。

 WEBRONZAの拙稿では「情報がネットを駆けめぐり、次々に複製されていく時代、水も漏らさぬ機密保護というのはどだい無理」と断じて、求められるのは情報が漏れても大丈夫な情報戦略や安保戦略ではないかと問いかけたのだが、それにつながる話だ。

 なんと言っても、参考になるのは史実だろう。僕は、昭和史の1ページに名を刻むスパイ、ゾルゲに関心をもった。ロシア南部(現アゼルバイジャン)に生まれ、ドイツで育った人物で、戦前に新聞記者として来日、ドイツ大使館に出入りしながら、共産主義者として旧ソ連のための諜報活動を展開したとされる。日米開戦直前に逮捕され、1944年に国防保安法違反などの罪で処刑された。

 まず手にとったのは、去年9月に出たばかりの『ゾルゲ事件とは何か』(チャルマーズ・ジョンソン著、篠﨑務訳、岩波現代文庫)。ゾルゲとその周りにいた尾崎秀実、アグネス・スメドレーらの交流を立体的に描いていて読み応えがあるのだが、読んでいるうちにゾルゲ自身の肉声がぜひとも聞きたくなった。そんなときに中古本ショップで出会ったのが、『ゾルゲ事件 獄中手記』(リヒアルト・ゾルゲ著、岩波現代文庫)である。

 『……とは何か』はまだ読みかけなのだが、後段に「伊藤律はユダだったろうか?」という、気になる付章も控えている。また当欄で紹介する機会はあるだろう。今回は『……獄中手記』に絞って、ゾルゲの言葉を拾ってみる。

 この本には、二つの手記が収められている。一つは内務省警保局編の文書。もう一つは司法省刑事局の資料で、本人がドイツ語でタイプ打ちしたものを訳したものだ。「肉声」と言っても、取り調べに対する供述の記録であり、当局の手を経ているので疑ってかかるべきところもある。だが。スパイとは何かを知る手がかりとしては、傾聴に値する言葉が含まれている。

 僕がとりわけ興味を覚えたのは、ゾルゲが日本のスパイ対策を腐したくだりだ。弾圧を批判しているのではない。防諜のやり方が「間違っている」というのだ。「『スパイ』に対する最良の対策は、何事も秘密にして『スパイ』を防ぐのではなく、『スパイ』が知ろうとする事をどんどん変えるのが一番である。そうすれば『スパイ』は、遂にはつかれて、その事を知ろうとする努力をやめて仕舞うものである」

 これこそは、僕がWEBRONZAの拙稿で言おうとしたことだ。ゾルゲの時代ですら「何事も秘密に」は防諜に有効ではなかった。ましてネット時代の今は情報が偶発的に拡散しやすいのだからなおさらだ。もっと高度な情報戦略が必要ではないか。「知ろうとする事をどんどん変える」というフェイント作戦は、情報操作の危うさと背中合わせだから要注意だが、暗号を守る手立てなどとしてはあってよい方策だろう。

 ゾルゲは、官憲の行動様式についても、こんなことを言っている。「現在日本の警察は余り細かい事を集め過ぎて大きなものを見ていない。細かい価値のないものを集めて時間を無駄にしているのではないかと思う」。当局は、捕まえたスパイに取り締まりの不効率を指摘され、諭されているのである。内務省の官僚たちは、この説教をどんな気持ちで読んだのだろうか。

 余計なお節介とも言えるゾルゲの当局批判は、実は彼のスパイ観を裏返したものだ。「本当の利口な『スパイ』は、軍や政治上の秘密や機密な書類を手に入れるという事にのみ努めるものでなく、また確実な情報を得る事に努めていても入手し得るものではない」「『スパイ』の方法は、広い意味の各種の情報ならびに断片的な情報でも拾い集めて、それを自分で判断するのである」

 ここにあるのは、分析力を高めることがスパイの要諦という考え方だ。「外国で活動する諜報グループの長」の役目について述べた箇所には、こうある。「こうした地位にある者は単に情報を集めるだけで満足すべきものでなく、自分の仕事に関係のある問題については、すべて徹底した理解をもつように努めるべきだ、と思っていた」「情報を吟味し、政治を全体的に捉えてこれを評価する能力こそは最も大切だ、と私は信じていた」

 この職業意識の表れともいえるのが、ゾルゲ宅の蔵書だ。「私が逮捕されたとき、家には八百冊から千冊の本があった」。『日本書紀』『古事記』『平家物語』の英訳、『万葉集』の独訳などが並んでいたそうだ。「日本語で書かれた本の外国語版で手に入るかぎりのもの全部、日本に関する外国人の著書のうちで最良のもの、基礎的な日本の作品の翻訳で最良のものなどを集めた」という徹底ぶりだった。

 「日本の昔の歴史に照らし合わせてみると、現代の日本の外交政策も容易に理解することができた。すなわち、昔の歴史の知識があれば、日本の外交政策問題も立ちどころにこれを評価することができるのであった」と豪語する。

 ゾルゲは、ただ本にばかり頼っていたのではない。日々起こる出来事からも日本政治の流れを読み解くヒントを得ていた。たとえば、1936年の二・二六事件。「事件はいかにも日本的な特性を具えたものであって」「鋭い検討を加え、事件によって暴露された社会的緊張と内部的危機を研究することは、単なる兵力に関する記録や秘密文書などより、どれくらい日本の内部的構成を理解するのに役立ったかしれない」と打ち明けるのだ。

 モスクワがゾルゲグループに課した「長年にわたって最も重要な任務」は「日本がソ連攻撃を計画しているかどうか」について「綿密な研究を行う」ことだった。日本軍国主義が勢力圏を広げようとしている先が中国大陸の北方なのか、それとも太平洋の南方なのかで先読みを求められた、ということである。ここで、ゾルゲ流の深掘り日本研究がものを言ったらしい。

 手記では、この求めに応じてモスクワに送った分析がズバリ当たったことを誇らしげに書いている。「ノモンハン事件のときには、私は断固として、日本がソ連に対して戦争を挑む考えはもっていないとの見解を執るとともに、一九四一年夏の大動員はソ連を主たる対象としたものではないとの説を唱えた」。ここで「ノモンハン事件」は39年に起こった日ソの衝突、「四一年夏の大動員」は関東軍増強だ。

 ゾルゲは「もし私が平和な社会状態と、平和な政治的環境のもとに生きていたとしたら、多分私は学者になっていただろう」と吐露するように学究肌だ。有能なスパイの必要条件は、すぐれて知的であることなのだろう。そんな敵を相手にした機密防衛の決め手が、厳罰をもって当該公務員の口を封じることだとは到底思えない。70年たっても変わらない日本の防諜思想をみて、ゾルゲはきっと嗤(わら)っていることだろう。
(No.195おわり)

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