文理悠々

闇好きが描く「暗い」未来

2014年02月03日

東日本大震災・福島原発事故後、節電で暗い東京・渋谷の交差点=2011年3月27日夜、川村直子撮影

 暗い街が好きだ。そのことは暮れに梶井基次郎『檸檬』をとりあげたときにも書いた。あの小説はもともと午前中の散歩を描いているのに、途中で夜の光景が紛れ込む。青果店の光を浮き立たせる闇。京都の夜は暗いからいい。

 京都の暗い夜についていえば、ぜひとも触れておきたいのは京都駅舎だ。新幹線ホームに近い南側の八条口ではない。北側の塩小路通に面した新しい駅ビルのほうだ。建築家原広司さんが設計して1997年に完成した。条坊制街路のイメージを取り込んだ四角い建物。コンペで原さんの案に決まったころ、その評判は必ずしも芳しくなかった。僕自身も、どちらかと言えば批判的だった。だが、できあがって入ってみると、これがいい。

 僕が惹かれるのは、その暗さだ。夜、最終間際の列車に乗ろうと思って京都駅に着く。構内は、建物の中身をくり抜いたようにぽっかりと空いた空間で天井が高い。明るく浮かびあがるのは、改札口を通してみるプラットホームと、列をなした券売機くらい。天井に散らばる照明は、あたかも夜空の星のように微弱だ。不愛想と言えば不愛想。でもそれが夜汽車を待つにはぴったりの静寂をもたらしている。

 こんな闇好きにはたまらない本が出た。書名はズバリ、『「闇学」入門』(中野純著、集英社新書)。著者は『闇を歩く』(知恵の森文庫)、『東京「夜」散歩』(講談社)など「闇」本の書き手であると同時に、実際に「闇歩き」の案内人もしているらしい。

 この本で僕がまずオヤッと思ったのは、京都を明るいと言っていることだ。2011年、東日本大震災と東京電力福島第一原発の事故後を語ったくだり。「東京の夜が外国のように暗くなったあと、六月に仕事で京都へ行った。そのころはもう三月ほどの危機的状況ではなくなり、東京は明るさを少しとりもどしかけていた。だから、東京と京都は大差ないかと思ったら、とんでもなかった。京都の夜が、腰を抜かすほどまぶしい」

 京都の闇擁護派としては、ちょっとムッとする。もちろん、京都にも最近はあちこちにコンビニができて、夜が更けても光を放ってはいる。だが、夜の基調はいまでも暗さにある――心の中でそう抗う。ただ一方で、東京の話には納得してしまうのも事実だ。3・11後、僕たちはほんの一瞬、暗い都心、副都心を見た。それは1970年代、第1次石油ショック直後の光景のデジャビュだった。あの闇はいま、どこへ消えたのか。

 著者は3・11後の京都体験に続けて、こう述べる。「震災前の東京はこんな感じか、あるいはもっと明るかったのかと思うと、ちょっと驚きだ。こんなに明るい街で、多くの人がたいして明るいとも思わずに生きている。それが世界的に見て特異なことなのだという自覚が足りない。日本は世界の中でも特別に明るい、光の国なのだ」。そう言えばそうだ。僕の記憶でも、欧州の夜は押しなべて暗かった。

 90年代に数年間を過ごしたロンドン。郊外の駅を降りて家路につくと、暗い街が広がっていた。街路を照らすのは、オレンジ色のナトリウム灯。窓から漏れるのは、間接照明の黄色い明るみ。怖いと感じる一歩手前の暗さがそこにはあった。出張先から空路戻ってきたとき、ヒースロー上空から見下ろした夜景も忘れられない。わずかな窓明かりだけの住宅街が連なり、街灯のオレンジ色の点線がいくつも弧を描いていた。

 この本は、外国の街はナトリウム灯派が主流なのに、日本の街は蛍光灯や水銀灯に席巻されてきたことにも触れている。家庭の照明も、蛍光灯が「部屋全体をまんべんなく明るく照らし出す」というのが定番になった。「戦後の日本人は、DDTの白い粉を頭から大量に散布して、身を真っ白にしながらシラミを駆逐したように、蛍光灯の白い光を頭から大量に散布して、部屋や街を真っ白にしながら闇を駆逐していった」のである。

 なぜこんなに日本列島の夜は明るく、白くなったのか。著者は、その原動力は戦時中の闇にあった、と読み解く。空襲対策の灯火管制は人々に暗さを強いた。「黒い紙の蛇腹などで電灯を囲む『防空電灯カバー』や、ガラス球の頭の部分以外を黒く塗りつぶした『防空電球』を用いて、部屋の電気を点けても、真下のちゃぶ台しか照らさないようにした。そのうえで黒いカーテンを引いたり、黒いラシャ紙を窓に張り詰めたりしたという」

 その裏返しが、戦後の「光る東芝」や「明るいナショナル」だ。「戦争のせいで、日本人にとって闇は怖ろしいだけのものになってしまった。もう闇なんていらない。闇はバイキンと一緒に駆逐しよう。未来は明るくなくてはいけない」というわけだ。

 この本は、闇の魅力と効用をさまざまな角度から説いている。著者自らがハマっているのは、山の闇だ。初夏の夜、東京西郊の高尾駅で始発電車を待つ羽目になったとき、懐中電灯を頼りに東高尾の山に入ったのがきっかけという。「新宿から電車で五十分で行ける土地なのに、深い闇がどこまでも果てしなく広がっているように思える。やがて目が暗さに慣れて、昼間の森とは別世界の幻想的なモノトーンの森が、目の前に立ち現れた」

 ナイトハイクは、山で日の出を愛でるご来光目あての登山につながり、それはまた修験道にも通じている。そこには、山上を死後の世界とみる「山中他界観」や、山で修行して里に戻ることを生まれ変わりととらえる「擬死再生」の考え方があるという。「闇を歩き、闇にたっぷり浸かったあとに山頂で日の出を見ると、闇と光のあまりのギャップに感動する」「昨日までとはまるで違うまっさらな世界が始まるように感じられる」

 「夜目」を論じたくだりもおもしろい。視覚を大きく分ければ「明所視」と「暗所視」があり、それぞれを主に担う細胞が前者では「錐体(すいたい)」、後者では「桿体(かんたい)」というように異なる、と薀蓄を傾けた後、暗所をみる夜目をこう位置づける。「ある一点にピントを合わせて細かく判別する能力ではなく、視界の全体をしっかりとらえる能力、いわば全体視力だ」。漢字でいえば「見」よりも「観」のイメージという。

 著者によれば、「今の都市生活」は明所視に偏りすぎている。「自分のすぐ目の前のスマホやケータイ、あるいはパソコン、タブレットの画面にずっと焦点を合わせ、ほかをほとんど見ていない。電車内で化粧をする女性も、目の前の鏡に映った自分にばかり焦点を合わせ、すぐ先の向かいの席に座っている人すら目に入らない」。光に満ちているのに「ものが見えていないし、見ていない」という逆説がここにはある。

 ここで著者は夏の夜、箱根・明星ヶ岳山上からの眺めを素描する。カルデラ壁や溶岩ドームといった火山特有の山容が見えてくるだけではない。視線を上げれば「天の川と降るような星々」、下げれば「強羅(ごうら)温泉などの街明かり」、遠くには「富士山の登山者が点すヘッドランプや山小屋の火影(ほかげ)」。闇の中にローカルとユニバーサルの存在が融け合う世界は圧巻だ。

 そして、話は谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』に行き着く。著者は、谷崎が讃えた日本家屋のかげりをこう要約する。「深い軒で直射日光を遮る。庭に反射した日光が幅のある縁側を経て、ときにはさらに明かり障子で弱められて、やっと座敷に届く」。和風の庭には木の繁みがあり、光はいっそう微弱になる。座敷から見通す庭は「洞窟の闇の中から洞外の景色を見た感じ」に近い。日本人は「闇のフレームの中で世界観を、思想を築いてきた」。

 最終章は、3・11を契機に明るさ、暗さとのつきあい方を見直すよう僕たちに促す。「原発の代わりに太陽光発電を本気で推進していけば、夜間の電力を無闇に使いたいという発想は、どう考えても出てこない」「二十四時間ずっと同じ出力で発電する原発と、二十四時間ずっと同じような明るさの中で暮らす私たちは、同期していたのだ」という指摘は、「闇学」から見た原発批判だろう。

 時代の気分は、むやみな明るさを嫌いはじめた。消費者の嗜好をみても、電球色の蛍光灯が売れ、部屋の明かりを間接照明に替える人がふえているように思う。いま求められているのは、空間を明るさで満たすことではなく「光の中にうまく闇を採り込む採闇(さいあん)の技術」だ。「夜を明るくできるのに明るくしないこと。それは昔に帰ることではなく、未来へ行くことだ」という卓見に、僕は敬意を表して同意する。
(No.198おわり)

悠々広場
★古瀬敏さんから
 先日、妻の七回忌、義母の十三回忌の法事を行いました。お寺のお坊さんが、電気をつけずにろうそくと窓から入る自然光だけにしましょう、本来はこの程度の明るさでものごとが行われていたのを改めて考えましょう、ということでお経を上げ、焼香をしました。お坊さんがお経を(確認しながら)読むだけの手元の明るさは確保されていたようです。足元に気をつけないと危ない状況ですと、それをカバーする明かりがほしいけれど、そうでなければ暗くても大丈夫。
 私は最近ぎらぎらする光が目に入ると、かえってものが見にくくなっています。左目の飛蚊症は、糸くずではなく大きな白い雲のようなものが飛んでいるのです。白内障も出てきているとは言われていますが、とにかく明るすぎるのは視覚作業に邪魔です。一定の明るさはほしいけれど……。
 ところで、乾正雄の「夜は暗くてはいけないか」も言及してもいい本ではなかったでしょうか?
☆尾関章から
 なかなかのお坊さん。亡き人に思いをめぐらすとき、明るすぎる明かりは邪魔ですね。闇を愛することは、内省を愛することなんだと思います。乾正雄さんのご本(『夜は暗くてはいけないか――暗さの文化論』朝日選書)に触れたご助言も、ありがとうございました。いずれにしても、建築をめぐる闇バナシ、陰翳バナシは僕も好きなので、この欄でいずれもう一度。

★まゆみ・たかぎさんから
 It is trivial, so please don’t be offended. I had to write my thought after reading your 闇好きが描く「暗い」未来. I wish all men were as straight, romantic and naive as you are…
 I agree on,“いま求められているのは、空間を明るさで満たすことではなく「光の中にうまく闇を採り込む採闇(さいあん)の技術」だ。「夜を明るくできるのに明るくしないこと。それは昔に帰ることではなく、未来へ行くことだ」という卓見に、僕は敬意を表して同意する。”Still, I insist that until such a technology be developed and implemented, roads― especially city roads―be illuminated so that women can go out and walk safely.   
 いくら治安の良い日本でも、暗い夜道を“月が、星が、街灯の軟い灯りが、きれいね――”なんて思いながら歩いている女性が、たとえ男性と一緒であったとしても――その男性に裏切られることもありますから――どれだけいるでしょうか?
 I hope the aesthetic view of 「闇学」 doesn’t overpower the safety of women. It is trivial, but at the same time I felt uneasy readying your review about the beauty of darkness.
☆尾関章から
 いいご意見をいただきました。僕が「暗い街が好きだ」というとき、それはもちろん「暗いが怖くない街」のことを指しています。これは、けっして女性だけの問題ではありません。子どもたちや年配者のことを考えても、やみくもに闇を求めることは断じて避けるべきです。本文にも書いたように、ナトリウム灯がともされたロンドンの暗さは「怖いと感じる一歩手前の暗さ」でした。
 この本も、そのことを気に留めています。著者が言及しているのは、最近、玄関先などにつけられるようになったセンサー付きの外灯です。これを街路灯に使えば、人が歩くときだけ道が明るく照らされることになります。ただ、この方法もいろいろと副作用はあるでしょう。建て込んだ日本の住宅街では、道路沿いの家は人が通るたびに窓の外が明るくなる、ということになるかもしれません。
 僕は、やはり常夜灯をともすことを前提に街をデザインしたほうがよいのではないか、と思っています。ただ、空間全体をのっぺり照らすのではないような明るみがいいですね。
 駆け込めるべき避難所として、コンビニエンスストアを活用するのもよいでしょう。深夜のコンビニと言えば、蛍光灯の白い光が定番ですが、それを温かい光にかえる、というのも一案です。
 僕は、この本で「採闇の技術」という言葉に惹かれました。科学記者として「技術」という言葉と日々向き合ってきましたが、それは「より強く」「より速く」「より明るく」という方向性をもつものがほとんどでした。いまようやく、やみくもに明るさを追求するだけではない技術に目が向けられるようになったのだな、と思います。

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