文理悠々

五輪は勝者だけのものじゃない

2014年02月10日

第18回東京オリンピックの柔道無差別級の決勝戦で、日本の神永昭夫選手を倒して優勝したオランダのアントン・ヘーシンク選手=1964年10月23日、東京・日本武道館

 白い恋人たちのドラマが毎夜、飛び込んでくる。ソチ冬季五輪はいよいよ佳境に入った。日本選手がメダルを手にできるかどうか、メディアはその話題でもちきりだ。いつのころからか、「いい色のメダルをとりたい」が有力選手の常套句になった。「金でなければ意味がない」という言葉を聞くこともある。だが、僕は断固として言いたい。スポーツは勝つことだけに意味があるのではない。

 競技があれば、勝者もいるが敗者もいる。競技人口が世界で二人という種目でない限り、頂点を極められない敗者のほうが多いに決まっている。負けたら意味がないのなら、圧倒的に多数の人々が無意味なことに精魂を傾けることになってしまう。

 問題は負け方だ。金メダルを有望視されていたのに、惜しくも逃す負け方がある。力をまったく発揮できず、期待はずれに終わる負け方もある。そうかと思えば、期待されていなかったのにいい線いったね、という負け方もある。そして、多くの選手はだれにも気づかれずに負けていく。だが、どの負け方をとってもいとおしい。そのいとおしさを切りだしてくれる著作に出あうとうれしくなる。

 で、今週は『東京五輪1964』(佐藤次郎著、文春新書)。著者は1950年生まれ。中日新聞(東京新聞)で運動部員や運動部長、編集委員、論説委員を務めてきた。ベテランのスポーツ記者と言ってよいだろう。

 スポーツ記者の文章は読ませる。僕はかねがね、そう思ってきた。新聞記事は政治であれ、経済であれ、事件であれ、科学であれ、どこか乾いている。データを集め、それを組み立てて書くので、そうなるのだろう。スポーツ記事も――いやスポーツ記事こそ――勝敗や記録というデータなしに成り立たない。だが記者の視線は、それを生みだす人間のほうに向けられている。だから、体温を帯びて訴求力をもつ。この本も、まさにそうだ。

 1964年東京五輪15日間の1日ずつに1章をあてがい、それぞれ一人もしくは数人の人物に焦点を当てていく。「第三日」には、重量挙げの金メダリスト三宅義信がいる。「第九日」は田中聰子。女子百メートル背泳ぎで4位となり、惜しくもメダルに届かなかった。そして「第十二日」は、マラソンで前年に世界最高記録を達成していながら15位に終わった寺澤徹だ。

 それだけではない。ホッケー、ボートといった地味な種目でほとんど注目されなかった日本人選手たちも登場する。したがって、この本に出てくるスポーツ選手たちの多くは、「敗者」ということになる。

 それでも、田中の4位にメダルを超える価値を見るのは僕だけだろうか。決勝では中盤まで先頭争いに加わり、1分8秒6でゴールする。1位と0秒9の差の自己ベスト。著者もこう書く。「どうしても越えられなかった9秒の壁。それをオリンピックの決勝で乗り越え、8秒台の半ばにまで到達した」「『せめて3位だったら』という思いも頭をかすめている。しかしそうしたすべてをひっくるめて、これは最高の泳ぎと言ってよかった」

 ボートのエイトで日本代表クルーを率いた理論派、堀内浩太郎ヘッドコーチの言葉もいい。予選で振るわず、敗者復活戦の前夜、こう語ったという。「これまで積み上げてきたものを、あしたも冷静に、理性的に出し切ってくれ。けっして特攻隊のような気持ちにはならないでほしい」。敗戦から19年、しかも翌日の強敵が米国だったことを思うと、この言葉には格別の意味がある。

 結局は米国に大差で敗れ、最終成績は10位。だがクルーの一人は、復活戦を前にしたコーチの助言を「人生の指針」として心に刻んだという。「こんな時は得てして、漕ぎ終わったら意識がなくなるくらいむちゃくちゃに頑張れと言いたくなるものですが、堀内さんはそういうことはおっしゃらなかった。あの場でああいうことを言えるのはすごいと思います」。選手たちはこのとき、良質な負け方とは何かを学んだのではないか。

 この本が素晴らしいのは、視野を出場選手の外にも広げていることだ。各章の主役のなかには、陸上競技のスターターもいる。選手村で働いた理容師もいる。実況中継を受けもったアナウンサーもいる。その人たちを、僕は裏方とは呼びたくない。そうした営みもまたスポーツという事業の要石だからだ。ピストルを撃つ人、鋏を握る人、マイクに向かう人の思いもまた、スポーツ記者の筆致であぶりだしている。

 僕が心を揺さぶられ、不覚にも涙を流してしまったのは、最終日の閉会式をテレビ中継したNHKの土門正夫アナウンサーの話だ。当時、34歳。4年前のローマ大会に現地に送り込まれ、五輪修業を積んでいたスポーツアナの若きエースで、東京大会ではバレーボールや水泳といった花形競技を担当した。閉会式にも「何をしゃべるかはきちんと頭に入っている」状態で臨んだ。

 土門アナの頭には、とっておきの話題が用意されていた。それは、五輪の開催中に独立した国があるという話だった。開会式で英領の北ローデシアを代表していた選手団の名が、閉会式では「ザンビア」に変わっていたのである。ザンビアの頭文字はアルファベットで最後のZ。「ザンビアの次には開催国・日本の旗が入ってくる。このあたりはひときわ盛り上がるヤマ場となる」という思惑があった。

 「各国国旗の入場は整然と始まった。土門は落ち着いてマイクに向かっていた。ところが次の瞬間、とんでもないことが起きた。目の前のモニター画面に、ひとかたまりとなった各国選手団が大挙してトラックになだれ込んでくる様子が突如として映ったのだ」

 すべての旗手がひと通り入場してから、ほかの選手たちが国・地域ごとに隊列をなして入ってくるはずだった。それなのに「しんがりとなるザンビアと日本の旗手のすぐ後ろから、肩を組み、手をつなぎ、まったくの一団となった各国選手が大騒ぎをしながらずんずんと入ってきた」。ザンビア話はほとんど吹っ飛んだ。「一瞬絶句しかかった実況アナウンサーは気を取り直し、目の前の光景をひたと見据えて懸命にしゃべり始めた」

 世界の若者がきわめて自然に混然となり、友情を分かち合った瞬間だった。当時中学生の僕もそれに感動した。だが今回落涙したのは、そのことではない。報道メディアは予定調和の世界を思い描きがちだが、ときに裏切られる。土門アナは、それを世紀の大舞台で体験したのだ。何を話したか覚えておらず、「大失敗」と思って局に帰ると「大成功」と喝采を浴びた。メディアで半生を過ごした僕は、そこにグッときたのである。

 陸上男子百メートルの号砲を撃った佐々木吉蔵スターターの話もおもしろい。「百メートルのスタートを一発で出す。それがオレの念願なんだ」が口癖だった。このときまで、「用意」と言ってから号砲までの時間は1秒8が最適と考えてきたのだが、それにこだわると選手に見透かされ、フライングを招きかねないと思い至る。「むしろピストルを撃つまでのタイムに幅を持たせた方がいいのではないか」

 本番の様子を補助役員だった野﨑忠信さんは間近に見た。「用意」の「声がかかるやいなや八人の選手がさっと腰を上げて静止した」。そして号砲。「野崎は息をのんだ。『用意』から号砲までがいつもより明らかに早い。しかし選手はいっせいに出た」。時間幅は1秒6。「タイムにこだわる必要はない。選手の動きだけを見ていればいい」という極意。ここには、米国のボブ・ヘイズら走者たちとは別の時間との向き合い方があった。

 山方澄枝さんは選手村の理容室で毎日、髪を刈った。柔道無差別級を制したオランダのアントン・ヘーシンクは身長198センチ。「椅子に座ってもらったところで彼女は困り果てた」「後ろに立っても自分の顔が鏡に映らない」。ヘーシンクは気を利かせて体をずらし、頭を低くしてくれたという。休みもとらず朝から夜まで働き、閉村となって気づく。「あ、私、オリンピックのテレビを一回も見なかったんだ……」

 走らず、跳ばず、泳がず、競技を見ることもない。そんな五輪もまた五輪なのだ。
(No.199おわり)

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