文理悠々

湊かなえ、「冗舌の時代」の書き手

2014年03月17日

『白ゆき姫殺人事件』を語る湊かなえさん=2012年8月3日、山田優撮影

 しゃべる、しゃべる、しゃべる。黒衣(くろご)の作曲家がしゃべる。虚像の「作曲家」もしゃべる。まもなく容疑者となる「目撃者」もしゃべる。このところ、テレビニュースをみていて目にする光景だ。

 冗舌の時代である。僕のなかで「ジョウゼツ」の「ジョウ」は長く「饒」だった。だが、ここでは新聞の用語手引に従って「冗」と書こうと思う。「饒」の字には「豊か」という意味があるが、最近はそれよりも人々の多弁ぶりに驚かされているからだ。

 悪い話ばかりではない。スポーツの世界もそうだ。今冬のソチ五輪を思い返してみよう。メダルを獲った選手も、それを逃した選手も、みんなよくしゃべった。たとえば、スノーボード女子パラレル大回転の銀メダリスト、竹内智香選手。朝日新聞の報道によれば、メダルを授与されて「7、8割は悔しい思い。でも表彰台から喜ぶ日本の人たちを見たら、よかったなあと思いました」「メダルは実物よりもイメージの方が感動的でした」。

 キラリと光るのは「実物よりもイメージの方が感動的でした」だ。「やっぱり実物は感動的」という予定調和をひっくり返して笑いをとる。だが、それだけではない。今回は、彼女にとって4回目の五輪。この間、日本にいてはダメだと感じて、スイス選手たちの間に飛び込んで技を磨いた日々もある。道を切りひらきながら思い描いてきたメダルは、実物よりもはるかに大きなものだったのだろう。これなどは「饒」のジョウ舌かもしれない。

 むかし、スポーツ選手は寡黙な人の代名詞だった。相撲の力士は「ごっつぁんです」しか言わないというのは戯画化が過ぎるにしても、取り組みを終えた関取がマイクを突きつけられて「そっすね」「そっすね」を繰り返す場面はさんざん見せつけられてきた。高校球児もそうだった。僕も駆け出しの支局記者時代、地元の野球少年たちを取材したが、二言三言以上の言葉を聞きだすのに苦労した記憶がある。それが今、大きく様変わりした。

 もちろん、近年の冗舌に手垢のついた感じのフレーズが出回っていることは気になる。スポーツ選手がここ一番の大勝負に臨むときは「楽しみたい」。これに呼応するように、観客席やテレビの前で応援する側は「感動をありがとう」。そんな一言が定番になった。スポーツとは関係ないが、不祥事で批判を受ければ「重く受けとめる」。慶弔電報のように文例集が用意されている。

 それはともかくこの時代、だれもがしゃべる、しゃべる、しゃべる。たとえ顔にモザイクがかかっても、胸元や手もとしか映らなくても、見たこと、聞いたこと、思っていることを堂々と話す人がふえたのである。

 で、今週の一冊は『白ゆき姫殺人事件』(湊かなえ著、集英社文庫)。井上真央、綾野剛が出演して、今月最後の週末から全国公開される同名の映画(中村義洋監督)の原作だ。ミステリー小説であり、しかも映画の封切り直前ということなので、今回はできる限り筋書きには踏み込まない。ストーリーを度外視しても残るなにかが、この作品にはある。それはネットワーク空間を抱え込んだ冗舌の時代の風景である。

 湊かなえは、冗舌の時代ならではの作家と言えるだろう。彼女を一躍人気作家に押しあげた「本屋大賞」受賞作『告白』が、そもそもそうだった。中学校で起こった禍々しい事件をめぐって、生徒や先生や母親が自らの世界と心の軌跡をとことん語る。これでもかこれでもかとたたみかける刃物のように鋭い告白。僕はいったんこの欄でとりあげようと思ったものの、たじろいでやめてしまった。

 これに比べて『白ゆき姫……』は、まったりしている。「殺人」そのものは記号化され、生々しくない。死体の発見現場はT県T市の行楽地「しぐれ谷」。被害者はT市に住んでいて、「白ゆき」という米粉石鹸が人気の「日の出化粧品」に勤める女性25歳。美人の誉れ高い。疑いをかけられるのは、被害者と同期入社の同僚女性。その実家がある田舎町も描かれる。そんな舞台設定が牧歌的で、2時間サスペンスの趣があるからだろう。

 だが、それでも湊流の鋭さは見てとれる。なによりも作品の設計が見事だ。本文を読むだけでも筋は追えるが、巻末の「資料」10点に目を通すことで物語の厚みが増すという仕掛けになっている。本文プラス資料で一つの作品なのだ。ここで一つだけ実際的な注意を促しておくと、「資料」は本文各章の末尾にある指示通りに開くこと。いっぺんに全部を見たら、それこそ自分で自分にネタばらしすることになってしまう。

 で、その資料とは何か。「週刊太陽」の記事が3点、「毎朝新聞」の切り抜き集が1点、登場人物の一人が書いたブログが1点、そして残りの5点は、一見してツイッターになぞらえたとみられる「マンマロー」の画面だ。ハンドルネームで送りだされる短文メッセージが、さもありなんという感じで連ねられている。既存メディアとソーシャルメディアをほぼ半々に配するあたりに作者の才気が感じられる。

 マンマローで投稿者の何人かが本文の登場人物であることは、すぐにわかる。だが、本文には出てこない人も交じっている。小説の筋書きは、本文の裏側でネット空間に拡散されて無責任に肉付けされていく。その陰の世界が本文にはね返って登場人物に影響を及ぼす。それは、一種の増幅だ。それによって、「灰色」の人物がクロっぽく見えてくるということも起こる。

 本文とマンマローの対応を、小説の冒頭部でたどってみよう。本文は、日の出化粧品の社員で被害者の後輩にあたる狩野里沙子が、フリーランスの雑誌記者赤星雄治に電話するところから始まる。二人は高校の同級生だった。「もしもし、起きてた?」「今すぐ起きて」「しぐれ谷での事件のことよ」。同時刻、マンマローではRED_STARが「おっ、電話。なんだこいつか、寝たふりかますか? ああ、うぜぇ」とつぶやくという感じだ。

 赤星は電話で話を聞く一方で、RED_STARとして発信を続ける。そこへ第三者が次々と入ってくる。「はじめまして。この事件に興味を持つ一人です」「あんな美人が殺されるなんて許せませんよね」と能天気なのは、KEROPPAなる人物。「事件のことがかなり詳細に書かれてるけど、ソースは信用できんのか?」「こんなところでつぶやいてないで、警察に通報したらどうなんだ?」(HARUGOBAN)という訳知り顔の投稿もある。

 本文で、里沙子の赤星への電話は再三にわたる。そのときに「今日話したことも公表禁止よ。マンマローとブログ、ちゃんとチェックするからね」といった感じで釘を刺すことも忘れない。ところが、マンマローには里沙子らしい人物も登場する。SACOという投稿者が日の出化粧品の社内行事についてべらべら語りはじめ、「さっきから気になってんだけど、もしかして、事件関係者登場?」とつぶやき返される始末だ。

 里沙子と赤星の内密のやりとりが、いつのまにかSACOとRED_STARの公然のやりとりに移行する。ネットという道具を手にしたことで、冗舌はプライベートの域に収まらず、公開の空間にあふれてしまうのだ。

 それだけではない。マンマローの話は思わぬ方向へ展開する。被害者が人気バイオリンデュオの熱烈なファンだったということで、ファンクラブの幹部が加わってくる。投稿者の間で飛び交う疑惑の女性の実名を会員名簿に見つけたという新情報をもち込んで妄想を膨らませ、バイオリン奏者を挟む三角関係が動機という筋を立ててみせる。こうして彼女を真犯人とする説は、別方向からも強められていく。とらえどころのない増幅作用である。

 一方、週刊誌はどうか。「週刊太陽」は、この疑惑の女性「Sさん」をほとんどクロとみなした記事を載せる。「Sさんを知る人たちは、最初はみな一様に『おとなしく、親切で、まじめな人』と三拍子揃った善人像を語るが、話に熱を帯びてくるうちにその姿は徐々に形を変えていく」。この前ふりに沿って、Sさんの友人、知人、家族の発言が切り取られ、貼り合わされる。ここにあるのは決めつけの怖さ。とらえどころのなさではない。

 冗舌はネットに走り、ネットは冗舌を好む。現代の不気味さが見えてくる作品だ。
(No.204おわり)

悠々広場
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