CROSS OVER(週刊朝日)

知能の物語 [著]中島秀之

2015年06月26日

■一人称の視点による知能の話

「この本には知能の夢が壮大に描かれています」と将棋の羽生善治名人が推薦文を寄せている。その通りだが、私自身は還暦を過ぎた著者による新しい旅の序章として読んだ。トールキンの『指輪物語』に準えるなら、彼はホビットのビルボやフロドと冒険の旅に出た魔法使いガンダルフだ。行きて帰りし物語を綴ったホビットらに続き、今度は自らを語ろうとする魔法使いの物語である。
 著者はかつて第5世代コンピュータの開発に貢献し、コンピュータ言語Prologの教科書も書いた人工知能研究者だ。本書の主眼は二つある。知識工学から環境知能へと歩んできた自らの来歴を書き記すこと、そこで得た「視点」の問題意識で次の知能の物語を拓くことだ。著者はスタンフォード大学で学んだ経験から日本と欧米では人工知能研究者の視点位置が異なることに気づく。川端康成の『雪国』の冒頭は主人公がトンネルから雪国へと抜け出る一人称視点だが、英訳版では景色全体を見下ろす三人称視点になっている。欧米の知能研究は神の視点で全体をデザインしがちだが、自分もエージェントの一員であるという虫の視点で知能を見渡せないだろうか。この発想が彼の研究人生を支えてきた。著者はSF物語に刺激を受けつつ物語と知能の関係を探る。そして物語を書く知能をつくることを旅の最終目的地と見定めてゆく。
 同時期に出た共著『一人称研究のすすめ』(近代科学社)は実践編で、そこには中島氏の若き旅の仲間も集う。埋め立てられた川の痕跡を町に見出す生活者の視点、羽生名人の思考など各事例は興味深いが、若き仲間はもっと自分の一人称で、物語の普遍性を支える自己の葛藤を書いていい。それが論文とは違う物語の書き方なのだから。
 知能という名の中つ国には科学や文芸さまざまな住民がいる。著者はそこに交差する一人ひとりが紡ぐ物語に知能の本質を見出しつつ、より豊かな中つ国の環境システムもデザインしようとしてきた。魔法使いは一人称の視点で一人称を超える。その物語もまた知能の魔法だった。

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