ニュースの本棚

水木しげるの人生 荒俣宏さんが選ぶ本

2016年01月31日

水木しげるさん

■少年時代は一生を決める宝
 水木しげるさんの仕事から、何か傑作を選べと言われても、途方に暮れるだけである。初期の貸本屋時代に出されたザラ紙本から、現在刊行中の「水木しげる漫画大全集」(講談社)まで、いったい何百冊あるのであろうか。しかも水木作品はすべておもしろい(この点に関してはご本人も太鼓判を押しておいでだった!)のである。私は個人的に気に入っている本を数冊、そっと紹介するだけである。
 水木しげるさんは、漫画もおもしろいが、それ以上に座談の名手だった。何時間でもおしゃべりしていたくなる楽しさがあった。一言でいえば、厳しい時代を生き抜いたにもかかわらず、どんな経験をも幸福の材料に変える魔力があったのである。爆撃のため片腕を失ったあと、病院で治療した傷口から「赤ん坊の匂いがした」という話に、私はどれほど驚いたことだろう。

■玉砕で生き残る
 そんな座談の懐かしい幸福感を伝える一冊が、子供時代を描いた自伝『のんのんばあとオレ』である。水木さんは少年期を神代の薫りが残る地方都市で過ごした。けんかエレジーもあれば酸っぱい初恋もある。子供のときにしか体験できない幸福を味わい尽くした腕白(わんぱく)話に加え、お化けや死の世界のことを教えられた「巫女(みこ)」のんのんばあとの交流がいい。一生不運だったかもしれぬ一老婆の死は、漫画家水木の心に死ぬまで残された。「水木先生の妖怪漫画が大好き」という子供らに、文章で書かれたこの本を薦めたい。少年時代こそ一生を決める宝なのだと気づかされるだろう。
 次にお薦めするのが、激戦地での過酷な実態を知らせる戦争漫画『総員玉砕せよ!』である。南太平洋ニューブリテン島で死地を彷徨(さまよ)った体験に基づく創作だが、ワニに食われた同僚の下半身を川で洗って持ち帰った話や、糞溜(くそだ)めに突っ込んでしまった靴を洗った桶(おけ)の水で飯を炊く羽目になった話など、全編笑うに笑えない「愚行」としての戦争が淡々と語られる。玉砕の物語だが、水木さん自身は生き残った。「玉砕で生き残るというのは卑怯(ひきょう)ではなく“人間”として最後の抵抗ではなかったか」という独白は、当時、誰も口に出せないが誰もが感じていた本音であったろう。
 じつは、水木さんは戦後もこのような「大本営発表」に似た地獄を“体験”した。たとえば1979年に、福島原発で働く下請け作業員の現場に材を取ったイラスト群(「アサヒグラフ」発表)を制作し、「まるで戦場だ」と語ったそうだ。その福島原発が3・11事故に見舞われたとき、この作品が偶然に再発掘され『福島原発の闇』(堀江邦夫・文、朝日新聞出版)として再刊された(現在は品切れ)。

■なまけ者になれ
 最後にもう一冊、亡くなる直前の生活ぶりを題材にした全ページ色刷り作品『わたしの日々』を紹介したい。これは日常周辺記であると同時に、含蓄ある回想録でもある。三人合わせると300歳に近い元気な水木三兄弟はじめ、仲良しのファミリーや猫たちとの生活ぶりに触れて、「穏やかなのがいちばんの幸せ」と改めて実感する。最後近くに付された「格言」は、水木名言集の総集編であり、「なまけ者になりなさい」「猫はカシコイ」「睡眠力と幸福」に続き、「屁(へ)のような人生」で締めくくられる。人生に絶対的な価値を求めず、瞬時に消えゆく屁のようなものに価値を見いだし、満足せよという格言は、良寛さまの言葉のように可笑(おか)しく、また愛(いと)おしい。
    ◇
あらまた・ひろし 作家、博物学者 47年生まれ。水木しげるとの共著『戦争と読書』など著書多数。

関連記事

ページトップへ戻る