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大学と人文学の伝統 田中克彦さんが選ぶ本

2016年02月07日

(左)鳥居龍蔵(1870〜1953)人類学者・考古学者。世界各地を調査・研究した (右)前嶋信次(1903〜83)東洋史学者。『アラビアン・ナイト』を原典から翻訳した

■精神のくもりに気づく経験
 人類学がまだ土俗学と呼ばれていた頃の、黎明(れいめい)期日本の近代学問の開拓者となった鳥居龍蔵は、小学校に1年学んだだけで退学させられた。学校の授業が気に入らず欠席がちになったからである。
 しかし家では多方面にわたって早熟な読書をし、英、独、仏など外国語の学習にも励んだ。やがて地元徳島の考古学的遺跡の調査を行い、明治19年に東京人類学会が創立されると、ただちにその会員になった。16歳のときである。
 その後上京して、坪井正五郎教授の手引きで東京帝国大学の研究室の資料整理にかかわるようになり、生涯にわたって、樺太、シベリア、モンゴル、旧満洲など、ひろく極東の調査を行った。東京帝大助教授の職を得て勤務しながらも、意に沿わないことがあって辞職した。このような生涯の足どりを記したのが『ある老学徒の手記』である。
 鳥居は言う。「私は学問のために学問し、生活のために学問せず」「学校卒業証書や肩書で生活しない。私は私自身を作り出したので、私一個人は私のみである」と。
 学問の自立へのこのような強い信念が形成されたのは、その素質を見込んで、これを読んでみろと次々に書物を提供する市井の人たちや、徳島の自宅まで訪れて助言を与えた坪井教授のような大学人が、当時の日本にはいたからである。

■今につながる洞察
 鳥居とは対照的に、生涯ほとんど学校から離れず、独自にアラブ学の道を開いた前嶋信次もあげておきたい。私は東京外国語大学の学生であった頃、この人からフランス語の手ほどきを受けた。エミール・ゾラやシャトーブリアンの描く女たちを、先生は飄々(ひょうひょう)とした調子で論じているうちに、いつの間にかアラビアンナイトの女との比較に話が流れていくという具合であった。先生の本業がアラブ学であると知ったのは、ずっと後のことであった。先生は東京外語でフランス語を修めた後、東京大学の東洋史に進まれ、ヨーロッパと東洋を結ぶ研究に沈潜された。十字軍とレコンキスタを扱った『イスラムとヨーロッパ』は、いまのような時代になって突然浮かび上がったかに見える問題には深い背景があることを思い知らせてくれる。東西にわたる深く広い学識にささえられた洞察は、目前の実利に追われる総ビジネス化大学からは急速に失われつつある。

■タコツボ化を警告
 大学が企業や官庁の勤め人養成の下請け機関になりさがり、他方で研究をますます狭いこまぎれの専門領域へと分断する結果、技術はあるが、全体を見渡し考えることを放棄した人間を製造する場となる。その危険を、もう150年も前に警告しているのがJ・S・ミルの講演『大学教育について』である。
 ミルはこの講演で「自分自身と自分の家族が裕福になることあるいは出世すること」を「人生最高の目的」とする人たちに大学が占領されないよう、絶えざる警戒が必要であると訴えている。
 今の日本の政治を担う人たちは、かつて大学生であったとしても、大学が学生に与えるべき最も大切な経験——真実という鏡の前で自らの精神のくもりに気づくという知的・心的経験を一度として味わわなかったのであろう。だからこそ、もうからない人文学を大学から追放しようという、先人の築いた日本の伝統を破壊へと導きかねない発想が表れるのであろう。
    ◇
 たなか・かつひこ 言語学者 34年生まれ。一橋大名誉教授。著書に『ことばと国家』など。

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