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カレル・チャペック [著]飯島周

2016年02月09日

■チャペックの日本批判

 空想的なものだけが、本当の意味で現実的だ。チェコの作家カレル・チャペックの作品は、そのことをはっきり示している。
 アメリカでヒューゴー・ガーンズバックが「サイエンス・フィクション」を確立しつつあった1920~30年代、東欧でも米英SFとは趣を異にするSFが書かれていた。チャペックが生み出した一連の作品だ。
 彼の名前を不動のものにしたのは『R.U.R.』(1920)だった。ロボットという造語で知られるこの戯曲は、翌21年にプラハ国民劇場で初演された後、世界各地で上演され、日本でも大正の新劇ブームのなか、24年に上演された。チャペックのロボットは、現代人が思い浮かべる金属製ロボットではなく一種の生命体で、意思を抑圧された強制労働(者)の寓意だった。
 さらにチャペックは長編的連載短編『絶対製造工場』、長編『クラカティト』、長編『山椒魚戦争』など、空想力豊かな作品を書き続けた。いずれも突飛でありながら、現実社会に深く切り込む作品だ。現実と真剣に向き合っていると、その思考は自然と未来に及び、SF的になる。
 効率優先の機械文明や情報管理社会が持つ非人間性を、鋭く批判したチャペックは、その一方で『長い長いお医者さんの話』や『園芸家の一年』などのユーモラスな作品も書いている。本当は、そういう心温まる呑気なものの方が好きだったのかもしれない。
 しかしファシズム台頭の時代にあって、彼の平穏への希望は踏みにじられた。彼の後期の作品にはナチスへの批判が濃厚だ。
 チャペックは日本にも手厳しい。『山椒魚戦争』には「有色人種の代表権を主張する日本」が登場。また日本人は進歩を大胆に受け入れるが、その空想力は変化の本質を理解しようという方向には向かわず、歴史を都合よく読み替えることに向けられると指摘する。この耳に痛い指摘は、今もあてはまりそうで、残念だ。

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