再読 こんな時 こんな本

書店員に聞く 北の国から

2016年03月05日

 拝啓、北海道はまだ、しばれるけれど、とうとう新幹線が、函館まで開通することになったわけで、僕も、このお祭り騒ぎの片棒をかつぐしかないと思われ、北の大地へいざなわれる、北海道を舞台に物語が織りなされた本を紹介します。

■ジュンク堂池袋本店・鎌田伸弘さんに聞く
(1)スフィンクスは笑う [著]安部ヨリミ
(2)ひかりごけ [著]武田泰淳
(3)アイヌ民譚(みんたん)集 [編訳]知里真志保
(4)少女七竈(ななかまど)と七人の可愛そうな大人 [著]桜庭一樹

■最果ての地で人は惑う
 胎内に宿した最初の子が、長じて高名な作家になることなど夢想できるはずもないまま、身重の若妻は長編小説の執筆に打ちこんでいた。
 約3カ月で書きあげた作品(1)『スフィンクスは笑う』が出版された大正13(1924)年3月、産み落とされたのは安部公房だった。母、ヨリミは、すぐに筆を折り、このデビュー作は長らく忘れ去られていた。
 ヨリミは明治32(1899)年、北海道の東鷹栖(ひがしたかす)村(現・旭川市)に生まれた。お茶の水女子大の前身、東京女子高等師範学校で国文学を学んだが、社会主義団体のビラを学内に貼ったかどで退学になっている。
 そんな経歴を持つヨリミが書いた唯一の小説は、ある青年と、その無二の親友が、ひとりの娘を見初めてしまう三角関係を発端とした悲劇だ。青年は、異性への愛情よりも同性との友情をとり、身を引く。ところが、青年に恋していた娘は義兄に犯され、妊娠してしまう。絶望した彼女は北海道へ渡り、荒れ果てた土地を耕して生きる過酷な末路へ、みずからを追いこむのである。
 「通俗的な恋愛小説の設定で、登場人物に市井の人の立ち位置を保たせながら、哲学的に思索させる手法は見事です。人生の苦しみやむなしさを、最果ての地で描いたことも成功している」と鎌田さんは評する。
 (2)『ひかりごけ』は、戦中、北海道で現実に起きた人肉食事件をモチーフとした、武田泰淳の問題作だ。
 1943年12月、知床岬沖で陸軍の徴用船が遭難。7人の乗組員は浜辺に泳ぎ着いたが、極寒のなかをさまよい、生き延びたのは船長ただひとりだった。凍死した乗組員の肉を食らい、飢えをしのいでいたのだ。
 ひかりごけは、洞窟で金緑色に光る。武田は、それと似た光が、人肉を食らった者の首の後ろからも、仏像の光背のように放たれると書く。
 戯曲の形式をとり、事件を裁く法廷を舞台とした終幕、船長をとりまく群衆はみな、背後にその光の輪がともっている。「船長にゴルゴダの丘へ運ばれるキリストを象徴させ、人間の原罪を問うカタルシスへ読者を導いている」と鎌田さんはいう。
 (3)『アイヌ民譚(みんたん)集』は、アイヌに伝わる昔話のなかから「パナンペ説話」を集めている。登場するのは、知恵者で世渡り上手のパナンペと、心のいやしいペナンペ。ペナンペはパナンペのまねをして、自分もいい思いをしようとするが、強欲が裏目に出て、かならず散々な目にあう。
 記者が薦める(4)『少女七竈(ななかまど)と七人の可愛そうな大人』は、北海道の旭川市で暮らす女子高生、七竈が主人公の小説。母親の淫乱な所業のゆえにこの世に生まれ、たぐいまれな美少女に育った彼女は、男を呪い、鉄道模型の世界に埋没している。したたかでありながら、けなげに生きる大人たちとの巡りあいと別離の物語には、おおらかで、ほのかに哀切な後味がある。
    ◇
■(見るなら)「そこのみにて光輝く」
 函館の海辺に、バラック同然の家が建っている。臭覚ではとらえられない、黒ずんだ血の匂いが、そこから漂っているはずだった。
 臭気を発しているのは、ただれたような家族の関係だ。父親は寝たきりだが性欲だけは衰えず、母親は夫の介護に疲れきっている。娘は売春もいとわない夜の仕事で家計を支え、ムショ帰りの弟はパチンコに明け暮れている。一家は重しをつけられたように、負のスパイラルにはまりこんでいた。
 早世した函館出身の作家、佐藤泰志の同名小説を映画化した。原作を貫く投げやりな無力感は、映像になるとリアルな手触りが生まれ、痛々しいほど、やるせない。
 働かず、無為な日々を過ごしていた主人公の青年が、ひょんなことから一家とかかわり合い、娘と愛し合う。呪われた家族は、重しがはずれる予感にときめく。
 人は誰であれ、「そこのみにて光輝く」者になれる。青年は、それを思い知り、迷いから救われた。
 DVDの発売元はTCエンタテインメント、4104円。(龍)

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