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天皇の生前退位 在位28年で築き上げた「国体」

2016年09月18日

「象徴としてのお務めについての天皇陛下のお言葉」は約11分だった=宮内庁提供

 8月8日に発表された「象徴としてのお務めについての天皇陛下のお言葉」には、1945年8月15日の玉音放送で流された「終戦の詔書」を思わせる言い回しが使われている。例えば「どのような時にも国民と共にあり」は「常ニ爾(ナンジ)臣民ト共ニ在リ」と似ているし、「(私の気持ちが)国民の理解を得られることを、切に願っています」は、「私の意をよく理解してほしい」という意味が含まれた「爾臣民其(ソ)レ克(ヨ)ク朕(チン)カ意ヲ体セヨ」と似ている。
 それだけではない。老川祥一『終戦詔書と日本政治』(中央公論新社・3024円)によれば、「詔書」のなかの「時運ノ趨(オモム)ク所」は「義命ノ存スル所」になるはずだった。「義命」が「時運」に修正されることで、なりゆきにしたがって降伏するという意味合いが強くなった。この「時運」のほかにも、「詔書」には「世界ノ大勢」という言葉が2回出てくる。
 一方、「お言葉」にも「日々新たになる日本と世界の中にあって」という言い回しがある。「なる」という言葉がいみじくも示しているように、ここにも「詔書」が受け継がれていると見ることができる。

■雄弁に核心語る
 また「詔書」には、「朕ハ茲(ココ)ニ国体ヲ護持シ得テ」とある。降伏や敗戦という直接的な表現は避けられ、ポツダム宣言を受諾しても「国体」は護持されると強調したのだ。今回の「お言葉」でも退位という表現はなかった代わりに、即位から28年で築き上げた平成の象徴天皇制の核心が雄弁に語られた。
 しかし、「お言葉」で天皇が生前退位の気持ちをにじませたのは確かだった。冨永望『昭和天皇退位論のゆくえ』は、昭和天皇にも生前退位の機会が4回あったことを明らかにする。特に朝鮮戦争により再軍備が課題として浮上してきたときには、旧軍人が退位論を唱えた。その背景には、新しい天皇を最高統帥者として改憲再軍備を進めたいという思惑があった。自分たちの政治的野心を満たすため、生前退位を利用しようとする勢力がいたということだ。
 昭和天皇は戦後巡幸の途上、各地で戦前さながらの奉迎の光景を目にして、「国体ヲ護持シ得テ」と放送したことが証明されたと感じたに違いない。昭和天皇以上に全国を回った現天皇も、こうした感覚を受け継いでいるように見える。89年〜2008年の「お言葉」を集めた宮内庁編『道』によれば、現天皇は00年12月、「戦後は、新しい憲法の下で、皇室の在り方も象徴ということで違ってはきていましたが、国民に対する気持ちとしては変わらないものであったと思います」と述べている。「国民に対する気持ち」は、戦前と戦後で変わっていないとしたわけだ。

■即位しての変化
 だが、平成の象徴天皇制は昭和と全く同じというわけではない。河西秀哉『明仁天皇と戦後日本』は、現天皇が即位してから国民に対する接し方を大きく変えたことを指摘する。それを象徴するのが91年7月、前年噴火した長崎県の雲仙・普賢岳の被災者を見舞ったときの行動である。このとき天皇は、皇后とともに膝(ひざ)をつき、一人一人に目線を合わせて声をかけた。これ以降、各地で大きな災害が起きるたびに二人は被災地を訪れ、同様の行動をとるようになる。
 それとともに、天皇に対する国民の印象も大きく変わる。一言でいえば「特に何とも感じていない」が減り、「尊敬の念をもっている」が増えたのだ。いまや大日本帝国憲法も教育勅語もない。にもかかわらず、現天皇は在位28年にして、抽象的な「臣民」ではなく、顔の見える「市井の人々」の内面に届く形で「国体」をより強固なものにしたともいえるのである。

 ◇はら・たけし 放送大学教授(日本政治思想史) 62年生まれ。著書に『昭和天皇』『可視化された帝国』『皇后考』など。

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