文豪の朗読

水上勉「越前竹人形」 島田雅彦が聴く

2016年12月04日

水上勉(1919~2004)。99年、長野県北御牧村(当時)で

■老イケメンの演歌なぼやき

 私より四十二歳年長の水上勉氏とは何度かお目にかかったことがあり、その圧倒的な存在感を前に萎縮するしかなかったが、水上氏の方は若者が好きなようで、きさくに世間話を振ってもらえたし、持っていたトートバッグを褒めると、中身を紙袋に入れ替えて、「持ってけ」と譲ってくれるような人だった。近代文学はもてない男の系譜だといわれながら、いつの時代も絶えることなくダンディ文士が活躍していた。カミソリのような芥川、ナルシスト全開の太宰、戦後派では大岡昇平、埴谷雄高のインテリ・ダンディ、これらの系譜から水上勉を外すわけにはいかない。若い頃のギラギラした感じは映画『飢餓海峡』の主演俳優三国連太郎のイメージと重なるが、私が知っている「勉さん」は白髪の前髪が一筋額にかかる憂い顔の老イケメンだった。
 好奇心旺盛な人で、手ずから骨壺(こつつぼ)を作ったり、絵をたしなんだり、晩年にはパソコンも自在に操っていた。『越前竹人形』は竹細工の職人の母恋、妻恋の物語だが、その手作業の描写を見ても、もの作りへの強いこだわりが感じられる。久しぶりに本作を読み返して、谷崎文学と共鳴し合うものを随所に感じた。職人が理屈ではなく、手作業やその経験から真理を発見する様子、おのが胸の内に抱え込んだわだかまりや欲求を認識する過程が緩やかに腑(ふ)に落ちるのである。理屈で押して行く論法は頭ではわかるが、気持ちがついて行かないことが多いが、水上節は段落ごとに読者の気持ちを確かめてから、先に進むようなところがある。
 その感じは朗読にも現れていて、自分で書いた文章を咀嚼(そしゃく)するように読み進めており、途中でポロリと独り言を差し挟んだりするのだ。今だったら、こんな書き方はしないのにな風のぼやきが入るたびに、ギャラリーから笑いが起きる。生前、水上さんの講演を聞いた時、「この人、演歌っぽいな」という印象を抱いたが、この独り言はまさに演歌に挿入されている台詞(せりふ)なのである。
    ◇
 1960年代に発表された朝日新聞が所蔵する文豪たちの自作の朗読を、識者が聴き、作品の魅力とともに読み解きます。

■聴いてみる「朝デジ 文豪の朗読」
 朝日新聞デジタルでは、本欄で取り上げた文豪が朗読する肉声の一部を編集して、ゆかりの画像と共に紹介しています。元になった「月刊朝日ソノラマ」は、朗読やニュースなどを収録したソノシート付きの雑誌です。録音にまつわるエピソードも紹介しています。特集ページは次の通りです。
 http://www.asahi.com/culture/art/bungo-roudoku/

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