文豪の朗読

吉行淳之介「私の文学放浪」 朝吹真理子が聴く

2017年01月15日

吉行淳之介(1924~94)。66年撮影

■美人の逸話もあっさりと

 吉行淳之介の朗読は聞き取りやすい。発せられる声と書かれた言葉に違和感がないから、聞いていて、とても楽しかった。これまでいくつか聞いてきた自作朗読のなかで、作家本人が読んでいるという実感があったのははじめてだった。作者と作品とのあいだの断絶を強く感じたのに、吉行の場合は、声をきいたことで、書かれた言葉に近づける気がした。
 「私の文学放浪」を聞いた後、「娼婦(しょうふ)の部屋」も聞いたけれど、すべて気負いなくはじまり、さらさら流れてゆく。実にあっさりした声をしている。
 「私の文学放浪」は、かつて自分の身に起こった記憶を書いているはずなのに、思い出すような読みぶりではない。先生と呼んでいた佐藤春夫との思い出も、優しいのか、冷たいのか、感情のわからない声で読んでいる。朗読している後ろのほうで、夏虫が鳴いているのがわかる。吉行は途中で「暑いな……」とこぼして、録音係のひとが思わず笑い、「ちょっとタオルをもってきます」というところで録音も終わってしまう。吉行が佐藤春夫にはじめて会ったとき、美人のおしりがとてもいいかたちをしていた、などと佐藤に話したというエピソードも、無表情に朗読していて、かえっておかしかった。
 朗読を聞いた後に「香水瓶」という短編を読んだ。わずか数ページの作品だけれど、忘れがたい場面があった。男が、かつてなじみの関係だった娼婦と差し向かいで食事をとっている。男は、かつて赤線地帯で過ごした時間が、女の皮膚の感覚や体温として思い起こされて欲情する。男は女に近づこうと、座っていた膝頭(ひざがしら)とふくらはぎに力が籠(こ)もりかかる。女は、男の足にかかったわずかな力に気づき、男が動きだすまえに、それを制する。そのエロティックな一瞬が、繊細に、かつ、簡潔な文体で書かれていた。朗読を聞いたあとだから、言葉のリズムをより楽しむことができたのかもしれない。
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 1960年代に発表された朝日新聞が所蔵する文豪たちの自作の朗読を識者が聴き、作品の魅力とともに読み解きます。
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■聴いてみる「朝デジ 文豪の朗読」
 朝日新聞デジタルでは、本欄で取り上げた文豪が朗読する肉声の一部を編集して、ゆかりの画像と共に紹介しています。元になった「月刊朝日ソノラマ」は、朗読やニュースなどを収録したソノシート付きの雑誌です。録音にまつわるエピソードも紹介しています。特集ページは次の通りです。
 http://www.asahi.com/culture/art/bungo-roudoku/

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