文豪の朗読

海音寺潮五郎「西郷と大久保」 佐伯一麦が聴く

2017年01月29日

海音寺潮五郎(1901~77)。61年、東京の自宅で

■「卑怯でごわすぞ」会議緊迫

 伊達政宗の御霊屋がある仙台市の瑞鳳(ずいほう)殿に至る坂の途中に、鹿児島県人七士の墓がある。明治十(一八七七)年の西南戦争に従軍した薩摩軍兵士たちは、国事犯として全国の監獄署に護送され、仙台の監獄署には西郷隆盛の叔父である椎原国幹以下三〇五人が収監された。彼らは自ら願い出て、仙台、塩釜、野蒜(のびる)、雄勝などで開墾や築港工事に従事し、宮城県の開発に大きな役割を果たした。その中の獄中死した者の墓である。小学校の遠足で聞かされて以来、私は鹿児島県人に親しみを抱いてきた。
 明治維新のすぐれた書き手である海音寺潮五郎もまた鹿児島県人である。西南戦争から二十四年後に生まれた海音寺は、まだ近辺に西南戦争を経験した年長者がおり、その話を聞いて育った世代だろう。明治男の朗読は芝居気は皆無で、地の文と会話を読み分けることなどはせず、喉(のど)太くぶっきらぼうな印象を受ける。木綿の粗い手ざわりを感じさせる薩摩言葉を聞きながら、海音寺は元来学者志望で、中学の国漢教師をしていたという前歴に思い至った。
 「西郷と大久保」は、鹿児島城下の大久保一蔵(利通)の屋敷に、二歳年下の友人の有村俊斎がやってきて、西郷吉之助(隆盛)と月照上人とに異変があった、という噂(うわさ)を案じるところから始まる。ここでさりげなく、長幼の序の厳しい国柄であることが、丁寧語「ごわす」の会話での使い方で示される。
 朗読されているのは、幼友達で力を合わせて維新を成し遂げたにもかかわらず、征韓論で真っ向から対立することになった西郷と大久保との会議での息詰まるやりとりである。「卑怯(ひきょう)でごわすぞ」と西郷のお株を奪うように大久保が発言し、西郷は「ひかえなされ……」と大きな拳でテーブルを叩(たた)く。朗読は平静さを失わず、それだけに革命家西郷と政治家大久保の性格のちがいが伝わってくる。大久保は二歳年上の西郷を中央政府から追い出した、と海音寺は推理している。
    ◇
 1960年代に発表された朝日新聞が所蔵する文豪たちの自作の朗読を、識者が聴き、作品の魅力とともに読み解きます。
    ◇
■聴いてみる「朝デジ 文豪の朗読」
 朝日新聞デジタルでは、本欄で取り上げた文豪が朗読する肉声の一部を編集して、ゆかりの画像と共に紹介しています。元になった「月刊朝日ソノラマ」は、朗読やニュースなどを収録したソノシート付きの雑誌です。録音にまつわるエピソードも紹介しています。特集ページは次の通りです。
 http://www.asahi.com/culture/art/bungo-roudoku/

関連記事

ページトップへ戻る