文豪の朗読

尾崎士郎「篝火」 本郷和人が聴く

2017年02月05日

尾崎士郎(1898~1964)=1961年ごろ撮影

■粘りけある文体を粘っこく

 うーん、良くも悪くも尖(とが)ったところのない朗読である。自作を読むなんてご免だとばかりに逃げていく遠藤周作のような、聞きづらさはない。といって吉村昭のような説得力もない。ごく普通に読む。文頭にアクセントをつけて、粘っこく読んでいることが特徴なのだろうか。
 尾崎士郎といえば早稲田大学に入学した青成瓢吉の青春とその後を描いた長編小説『人生劇場』が多くの読者を獲得した。この作品から生まれた佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲の歌謡曲『人生劇場』は早大出身者に愛唱され、「第二の早大校歌」といわれた。だが、蛮カラ・苦学生という早稲田のイメージが今や全く通用しなくなったように、小説・歌ともに『人生劇場』に親しむ人も少なくなった。
 さて『篝火(かがりび)』である。朗読と同様、異様に粘りけのある文体(一文も段落も妙に長い)で書かれる本作をどう評したら良いのか。分からない。筆者は困り果て、藁(わら)にもすがる思いで大垣城を訪ねてみた。この城で子どもの甲冑(かっちゅう)に出会ったことが、作者に本作を構想せしめたという。ならばそれを見たいと思った。ところが、天守閣(戦後に再建)で尋ねたところ、ありません、との答え。戦前に尾崎が見たものは、国宝だった天守閣ごと戦災で焼けたようだ。貴重な手がかりは消えていた。
 ともかく朗読にしろ本作にしろ、また『人生劇場』にしろ、格別な山場が見当たらぬまま、ひたすら重たく推移する。気のきいた場面転換や巧妙な伏線などはない。まさに一時代昔、昭和の味わいなのだ。テンポ良く進行し、手早く結論を掲示する作品に慣れ親しんだ現代の私たちには、苦手な感が否めない。
 いやしかし。考え直すべきかもしれぬ。時局の流れが早すぎる「いま」だからこそ、重さもまた必要だ。じっくり聞き、じっくり読む。熟考してこそ得られる結論だってある。拙速ばかりでは時にあやうい。尾崎を忘れてはもったいない。
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 1960年代に発表された朝日新聞が所蔵する文豪たちの自作の朗読を、識者が聴き、作品の魅力とともに読み解きます。
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■聴いてみる「朝デジ 文豪の朗読」
 朝日新聞デジタルでは、本欄で取り上げた文豪が朗読する肉声の一部を編集して、ゆかりの画像と共に紹介しています。元になった「月刊朝日ソノラマ」は、朗読やニュースなどを収録したソノシート付きの雑誌です。録音にまつわるエピソードも紹介しています。特集ページは次の通りです。
 http://www.asahi.com/culture/art/bungo-roudoku/

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