文豪の朗読

安東次男「ある静物」「死者の書」 朝吹真理子が聴く

2017年03月05日

飼っているシジュウカラを肩に載せる安東次男(1919~2002)=79年

■語り得ぬものを語る詩

 私は、安東次男のファンである。会ったことはない。でも、彼が遺(のこ)した作品への敬意と親しさをこめて、あんつぐ、と彼のことを呼んでいる。
 はじめて読んだのは『芭蕉七部集評釈』だった。評釈書だけれどこれは安東次男の詩そのものである。松尾芭蕉に惹(ひ)かれて『俳諧七部集』を読みはじめたけれど、芭蕉の連句がちっともわからない。そのとき標として傍らに置いていたのが、幸田露伴と安東次男の評釈書だった。
 安東は言葉の自律性をつきつめた人だと思う。詩というのは、作者からも時間からも完全に切り離されて、ただ言葉だけがあることなのだと知った。
 安東次男の〈CALENDRIER〉という美しい詩集がある。タイトルの通り、一月ずつ、十二篇の詩で構成されている。
 冬になつてつやつやと脂のよくのつた毛なみをしその下に充分ばねのきいた皮膚を持つ獣たちがいるかれらの皮膚が終つたところから毛が始まるといつたらこれは奇妙なことになるにちがいないしかしまさしく目の終つたところから視線は始まるのだそして視線の終つたところからはなにもはじまりはしない(「氷柱 プロローグにかえて」CALENDRIER)
 安東次男のすべての詩は「視線の終つたところから」はじまっている。
 十二月の詩である「ある静物」を安東は朗読する。みることと読むことは同一であると実感する一篇で、言語が絵になっている。音として発声されると、絵だったはずの言葉が解体されてゆき、全く違う詩を耳にしているようだった。
 広島の原爆への深い鎮魂をこめた「死者の書」も、感情を昂(たか)ぶらせて書いた詩ではない。朗読する安東の少しかすれた声。死者、ものの気配、そうした、語り得ぬものにむかっていた。それは、海軍主計大尉として駆逐艦に乗っていたことが関係しているのかもしれない。安東の詩句はいつまでも語り得ぬものを語るのだ。
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 今回は、日本近代文学館の「第5回 声のライブラリー」(96年5月11日、石橋財団助成)の音声を元にしています。
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■聴いてみる「朝デジ 文豪の朗読」
 朝日新聞デジタルでは、本欄で取り上げた文豪が朗読する肉声の一部を編集して、ゆかりの画像と共に紹介しています。元になった「月刊朝日ソノラマ」は、朗読やニュースなどを収録したソノシート付きの雑誌です。録音にまつわるエピソードも紹介しています。特集ページは次の通りです。
 http://www.asahi.com/culture/art/bungo-roudoku/

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